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時計台 130年(上)
【北の国からのエッセイ】 2008年10月30日

札幌のシンボルは?と尋ねられると、「時計台」と答える市民が圧倒的に多いという。それくらい札幌の時計台は市民に浸透し親しまれている。

その札幌時計台が今年10月で創立130年を迎えた。記念行事が行われ、正確に時を刻んで毎正時には鐘がなる時計を、長年、保守点検してきた時計職人に札幌市長から感謝状が贈られた。

時計台には雪の降る寒いときも、陽射しの強い暑いときも、1年中、朝から夕まで絶えることなく観光客が訪れている。こんなに多くの観光客が訪れる観光ポイントは札幌には他にない。そして撮影ポイントに立って「はい、チーズ」。記念写真をとって、大半の人がさっと消えてしまう。「○○へ行ってきました」というおみやげ饅頭を購入する感覚なのだろうか。200円の入館料がもったいないというわけでもないだろうが、中に入って重要文化財としての時計台を味わおうという人はそれほど多くはない。(写真:08.10  現在の時計台)

観光ボランティアとしては、時計台は重要な案内ポイントである。観光客の求めに応じて案内もするが、求めに応じてシャッターマンにもなりきっている。けどちょっと寂しい、もったいないなという気持ちもする。

見栄えのしない時計台
「日本三大がっかり名所」という言葉があるそうだ。高知のはりまや橋・沖縄の守礼門・もうひとつが札幌の時計台だそうだ。

たしかに時計台は金閣寺や姫路城のような豪華なものではない。むしろ板葺きの建物で、その上に大時計がのっかかっているという質素で見栄えのしない建築物だ。おまけに周囲は近代的な高層ビルに囲まれて、見方によっては肩身の狭い古びた建物という感じがしないでもない。(写真左:04.12  冬の時計台)

もともと時計台は、時計台として作られたのではない。札幌農学校の演武場として作られた。華やかな演舞場ではない。地味な演武場だ。

ミリタリーホール
明治8年、いまの北海道大学の前身・札幌農学校が開校すると、教頭として来日したクラーク博士は演武場の必要性を語る。当時アメリカは奴隷解放などをめぐって国を二分した南北戦争が終わったばかりで、クラーク博士も北軍の戦士として戦った。勝利したリンカーン大統領は、今後、国有地を払い下げて学校を建てる際には、農工系と兵学の勉強をカリキュラムに入れることを条件に付けた。モリル法といわれている。南北戦争の直後でもあり、学生を予備の将校として養成することを想定した法律だ。以降、開拓進むアメリカ中西部の各州に作られた大学には演武場、ミリタリーホールが併設された。

日本でも明治7年の佐賀の乱から神風連の乱、萩の乱、そして西南戦争と士族の反乱が相次いだ時期でもあった。クラーク博士は「高等教育を受ける者でも一たび有事になれば戦場に出向く」というアメリカの制度を日本に導入したもので、その証が演武場だったのだ。

演武場は二代目教頭ホイーラーによって具体化され、明治11年、いまからちょうど130年前に建てられた。時計台二階のホール正面には演武場の看板が掲げられ、左に「従一位具視」という署名が入っている。(写真上・左)明治新政府では右大臣を務めた岩倉具視直筆の書であることがわかる。ホールには現在は長椅子がおかれ、講演や時計台コンサートが開かれている。



開拓使のシンボルマーク
時計台の正面の☆印は何のマークですか?よく観光客に訊かれる。(写真右:06.6 ライラックの咲くころの時計台)これは五稜星と言い、開拓使のシンボルマークで北極星をかたどっている。このシンボルマークは北海道庁旧本庁舎(通称赤レンガ庁舎)、明治天皇行幸のときの宿泊所として建てられた豊平館、それに時計台の3箇所(いずれも重要文化財)など、ごくわずかな公共物に掲げられている。

唯一例外としてサッポロビールの工場にもついている。日本で初めて作られた国策のビール工場で、明治中期に民間に払い下げられたとき、シンボルマークも一緒に払い下げを受け、以降、今日まで商標として使われている。

石ころで動いている時計台
演武場の屋上に時計を設置するよう指示したのは、当時の開拓使の長官だった黒田清隆といわれ、演武場ができて3年後の明治14年、いまの時計台ができあがった。時を告げる鐘楼は東京赤羽の国の工場で製造される。見学にきた婦人が「この鐘は北の地、札幌で勉強して、将来日本を背負う若者のために鳴らされる」という説明を聞いて、突然 指にはめていた高価な指輪を、溶鉱炉の中に投げ込んだという逸話が残されている。

建設当時は、時計台よりも高い建物はなかった石狩原野に、鐘の音は鳴り響いた。記録によると、風向きによっては時計台から2.5キロの地点でも聞こえたという。

ゴ~ン ゴ~ン 

開拓民はこの鐘の音を聞いて空腹の音と共鳴させ、弁当を広げたことだろう。

札幌時計台は、おもりの力で時計を動かす機械時計である。そのおもりは、札幌中心部を流れる豊平川の河原の石が使われている。左の写真は、時計台の中に収められている機械時計と同型で、アメリカから当時としては最新のものを持ち込み、右側の木箱におもりの石が入っている。

機械式時計は明治時代が全盛であったが、その後、電気時計から水晶時計へと代わって、現在では廃れているという。現存している機械式時計は、高知県安芸市野良時計・山形県旧県庁舎時計塔・立教大学モリス館時計塔と、札幌市時計台の4ヶ所だけだという。札幌の時計台がもっとも古く、石ころのおもりで1世紀以上も正確に時を刻んでいる。
(つづく)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。