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時計台 130年(下)
【北の国からのエッセイ】 2008年10月31日

クラーク博士
札幌農学校というと、当たり前のことだが多くの観光客が農業の専門学校だという先入観が強いことに気づかされる。

確かに「地を拓き農を勧むるは産業の本源なり」という時代なので農業を教え、キュウリ・ナス・タマネギの野菜からリンゴ・ブドウの果実、更に酪農を持ち込み、コメとダイコンしかなかった当時の日本の農業を、がらりと変える先駆的役割を担った学校だった。右の写真は日本で初の洋式農業建築として、クラーク博士が作った第二農場でモデルバーンと呼ばれ、模範家畜房や穀物庫などの一連の倉庫や小屋は、重要文化財に指定されている。(06.9  北大構内)

ただ、クラーク博士は単に農業技術だけでなく、生徒には高いヒューマニズム精神に満ちた、ストイックで自由な徳育を教えた。クラーク博士(写真左:北大博物館)は農学校の開校式で、将来を嘱望されている学生に対し、日本のこの種の行事では考えられない「欲望と情欲を制御するよう」演説を行っているところが面白い。こうした教育を受けて、内村鑑三(思想家)、新渡戸稲造(教育者)、広井勇(土木工学の先駆者)など農業と直接関係のない人材が育った。

観光客は時計台に展示されているさまざまな史料を見て驚く。授業はすべて英語で行われ、生徒たちは寄宿舎に戻ってメモを持ち寄っては、ノートを作り清書した。時計台には新渡戸稲造の達筆な英文ノートが展示されている。(写真下左)新渡戸は5000円札から姿を消して影が薄くなったが、北大構内や時計台を歩くと存在感がある。新渡戸も、新渡戸を慕って札幌農学校に入った有島武郎も卒業後、母校で教鞭にたち、時計台のホールで講演している。


クラーク博士は学生に心の道徳を育むために聖書を用いたが、帰国の際「イエスに信ずる者の誓約」を残した。この誓約にはクラーク博士に感化された内村や新渡戸、広井など一期生と二期生の熱心な信仰者が署名した。そのサイン入りの誓約書も時計台に展示されている。(写真上右)

それにしてもつい数年まで邪教とされたキリスト教を黙認して、すべてを任せた開拓使の長官、黒田清隆の度量の大きさには驚く。黒田は教頭として迎えたクラーク博士に対し「学生には最高の徳育を教えてほしい」と要請すると、クラーク博士は即座に「キリスト教こそ最高の徳育だ」と答えたという。

札幌農学校の卒業生
クラーク博士は、東京で自ら面接して合格と認めた11人の一期生とともに船で札幌に向かうが、生徒の品性のなさに顔をしかめたという。甲板の上で遠慮なく放尿し、鼻をかむことはせずどてらの裾でぬぐい、裾はてかてかに光っていた。

その生徒たちを相手に授業を始めると、水が浸みるがごとくどんどん知識を吸収していく生徒の優秀さに驚き、自ら学長をしていたマサチューセッツ農科大学の学生と変わらないと述べている。青春時代、演武場で文武に励み、クラーク精神を体一杯に浸み込ませて巣立った札幌農学校の卒業生は、全国に散らばって旧制中学の校長などになり、多くの子弟を育てた。

二期生の新渡戸稲造・第一高等学校校長からは南原繁が、三期生の鶴崎久米一・神戸一中(現神戸高校)校長からは矢内原忠雄が、いずれもリベラルな戦後の東大総長が薫陶を受け、一期生の大島正健・山梨中学(現甲府第一高校)校長の教え子には石橋湛山がいた。

特に悪行がたたって2年も落第した後の首相、石橋湛山は大島校長からクラーク博士の話を聞き「一生を支配する影響を受けた」と書いている。(写真左のこの他の卒業生佐藤昌介は、北海道帝国大学初代総長、町村金弥は町村牧場の創設者で、町村信孝前官房長官の祖父)

時計台二階のホールには、札幌農学校時代の長いすと机が再現され、当時のアカデミックな雰囲気を堪能できるよう配慮されている。向学心に燃えた子供たちと、明治黎明期の高等教育の様子が浮かんでくる。

文学・歌の世界の時計台
時計台の存在は全国に散らばった卒業生だけのものではない。なによりも足元の道産子に対しても大きな影響を与えた。

札幌出身の作家森田たまは、随筆「吹雪の味」のなかで、「吹雪で一切の交通が途絶したとき、私たちを支えてくれるのは、時計台の時を告げる鐘の音であった。ふだんから澄んで清らかなあの鐘の音が、吹雪の日は一そう冴えて、耳といふより心にひびいてきた。町ぢゅうのみんながいまこの音を聞いているのだと思うことが、唯一のつながりであった」と書いている。

時計台の一角に時計台を歌った歌謡曲の紹介コーナーがある。(写真右)札幌ブルース(青江美奈)、恋の町札幌(石原裕次郎)、札幌ふたりづれ(都はるみ)、ああ北海道には雪が降る(鶴岡雅義と東京ロマンチカ)などなどその数の多さに驚く。これらの歌の中に北海道の風土や、札幌の街をイメージさせる代表的な建物として、時計台が登場する。

この中でも時計台を世に紹介し、多くの人に感銘を与えた歌はこの歌において他にないであろう。

♪ 時計台の 鐘が鳴る 大空遠く ほのぼのと

 静かに夜は 明けて来た ポプラの梢に 日は照り出して

 きれいな朝に なりました 時計台の 鐘が鳴る ♪

名曲「時計台の鐘」は、大正12年バイオリン演奏家、高階哲夫が26歳のとき作詞作曲したものである。

前年の札幌での演奏会のとき酷評された高階は、後日開催の特別演奏会で大成功を収めた。その夜、演奏会成功の喜びを胸に札幌の街を一人歩き、時計台の鐘を聞きつつ帰路についた。「時計台の鐘」はこの時の感動と、彼が触れた札幌の広大な自然への感動をもとに作られたと言われている。


高層ビルより高い時計台
時計台は一見近代的な超高層ビルの中に埋没しようとしている。しかし建設以来130年の歳月を経た時計台には、超高層ビルよりもはるかに濃密な歴史とロマンを持って燦然と輝いている。札幌市の市民憲章冒頭には「わたしたちは時計台の鐘がなる札幌の市民です」と書かれていた。

まもなく木枯らしの吹く札幌である。時計台の鐘は木枯らしにのって、厳しい冬を耐える力と安らぎを市民に与えてくれることだろう。(完)
写真右:クリスマスの時計台(07.12)

望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。