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植物学者と長寿
【北の国からのエッセイ】 2009年01月05日

おめでとうございます。

新しい年を迎えて、近くの北海道神宮に恒例の初詣にいってきました。

積雪は26センチ、札幌の冬は、やはり雪があって札幌です。ただ気温がプラスなっているため、道路の氷は緩みがちで寒さも余り感じられない穏やかな正月となっています。

拝殿の前には特設のお賽銭コーナーが設けられ、のぞきこむと例年よりお札が多いような気がしました。不景気のときこそ神頼みになるのでしょうか。鈴なりに懸けられている絵馬には、いつもの合格祈願などに混じって、「脱ニート」「無職卒業」など、ご時勢を反映した願い事が目立っていました。

拝殿で手を合わせたお年寄りの多くは「よくぞここまで生きてきた。ことしも健やかに過ごすことができるように」と、さぞ祈願されたことでしょう。日本人の平均寿命は82.4歳(去年のOECD発表)で、世界最長寿国だそうです。まさに寿 です。

昨年暮れ、忌引きのために新年の挨拶を失礼するという書状に、なくなった方が100歳を超えていたケースが2通ありました。日本が長寿社会であることを実感しました。

80~90才台はいまでは当たり前ですが、日本人は昔から長寿であったわけではありません。ところが、植物学者は昔から長寿者が多いような気がします。

幕末の尾張の本草学者 伊藤圭介 は文化文政の昔から明治まで11の年号を生き抜いて、98才で天寿を全うした。この時期としては異例の長寿である。

Convallaria Keiskei 

これはスズランの学名である。日本人の名前がついている。

伊藤圭介は平戸にいるシーボルトから西洋の学問を学び、鎖国政策の中でシーボルトが自由に日本国内を動き回ることができないときに、日本固有の植物をシーボルトに紹介した。シーボルトは伊藤の厚情に感謝し、スズランの学名に伊藤圭介の名前をつけて発表した。伊藤圭介は日本の近代植物学の先駆者で、明治になって東大教授となる。

草を褥に木の根を枕 花と恋して90年

粋な歌を詠んだのは 牧野富太郎 である。東大時代 学歴がないために昇進できない不遇にめげず、植物の研究に没頭して「牧野植物大図鑑」を著し、94歳で没した。病床に臥す牧野博士を昭和天皇が見舞った。親戚でもない一国民に、わざわざ天皇が出向いて見舞った行動は、当時トップニュースとして新聞に出ていたことをよく覚えている。牧野博士が発見した新種は数百種と言われている。

その一つ、奥さんの寿衛子さんがなくなった年に見つけたササの新種に「スエコザサ」と名づけた。(学名 Sasaella ramosa var. suwekoana ) 経済的に困窮していた博士を支え続けた奥さんに感謝して命名したもので、寿衛子さんの墓碑には 

世の中の あらん限りや スエコザサ 

と、刻み込まれているという。

内村鑑三・新渡戸稲造と共に、札幌農学校2期生の3賢人といわれる 宮部金吾 は91歳で没した。内村・新渡戸が中央で華やかに活動するのに対し、宮部は札幌に残って北大植物園の初代園長となる。実に29年間も植物園長を務めた宮部は、札幌名誉市民の第一号である。宮部博士が日高で発見したカエデの一種、クロビイタヤには博士の名前が学名についている。(Acer miyabei maxim)クロビイタヤよりは、ミヤベイタヤで一般的に通っている。

終戦直後、進駐軍が天然記念物の藻岩山原始林に、軍人の慰安のためのスキー場を作り始めた。とんでもないと進駐軍と掛け合って止めさせたのは、とうに引退していた万延元年生まれの宮部金吾である。

いまなお現役で活躍されている植物学者に、辻井達一 がいる。11代目の植物園長で、国際湿地保全連合日本委員会委員長などを務めて現在77歳である。

辻井先生は私に老後の楽しみを与えてくれた神様である。最初にお会いしたときちょっと猫背で、失礼ながらそれほど長くはないなと思った。お元気なうちにいろいろ教えてもらおうと、夏は野山でフィールドワーク、 冬は座講と1年中講義を受けている。(写真左:小清水原生花園の辻井先生 05.7)くたばるどころか、益々かくしゃくとしており、お付き合いをはじめてもう5年になる。一回り若い私のほうが先にくたばりそうだ。現在も北海道環境財団理事長、北海道遺産を選考する協議会会長などなど、北海道自然界のドンである。

辻井先生と一緒に北海道の植物図鑑を監修しているエンレイソウの世界的権威・鮫島淳一郎は、82歳である。数年前大病を患ったが克服して再び野山を歩き回り、去年画文集「北ぐにの花暦」を著した。一昨年 鮫島先生と半年野山を駆け回ったが、誰一人上ろうとしない原野の斜面を、病上がりがひとり駆け上って写真を撮ってきたのには驚いた。とても80を越しているとは思えない身のこなしである。数年前と今との違いを、自分の目で確かめたかったようで、学者の好奇心というか執念に息を呑んだものだ。(写真右:ミズバショウをカメラに収める鮫島先生  07.4 江別)

かように古今問わず、植物学者には長寿者が多い。これについて、終戦直後の北大植物園4代目園長、福士貞吉は自らの自叙伝にこのように書いている。

体質・精神力・境遇などは各人同じではない。
しかし長生きした植物学者の共通点は、青春時代から老後まで植物の採集に山野を歩き回ったことである。
汚れのない大気を吸い、清らかな泉を汲み、自然を友として草木を訪ね歩く人々に、不老長寿が恵まれても何の不思議があろうか。

当の福士博士も、ほぼ1世紀生きた。

私は若い時の不摂生がたたって内臓はぼろぼろで修復は難しく、だましだまし使っています。平均寿命まではとてもとても、そう長くは持たないと、早い時期から思っていました。しかし、各種の検査データ数値が高くても、もう右肩上がりではありません。「高値安定だからいいではないのか」と医者に言ったら、株でもないのにとお叱りを受けてしまいました。医者の前でのる体重計が怖く、毎月の定期検査の前日はいつも絶食、寒くてもズボン下ははかずに病院に行ってます。

サラリーマン退職後、植物とめぐり合ってから広い北海道をほとんど歩きました。 (写真左:稚内郊外 メグマ湿原 06.07 ) そのせいか、去年の精密検査では医者から交通事故にあわない限り、あと5年は保障できるというお言葉を頂きました。ありがたいことです。けど、気持ちの若さとは反比例して、老いが忍び寄ってきているのを自覚せざるを得ません。動物園や記念館などが入場無料になったと単純には喜べません。

マイペースで人さまのお尻にくっついて、野山を徘徊するのが一番のようです。これが認知症で徘徊しない最良の薬のように思えます。

去年の日程表をめくると、植物を追って出かけた日数は94日ありました。(完)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。