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北の国からのエッセイ
冬に耐える植物
【北の国からのエッセイ】
2009年02月24日
北国札幌は2月下旬になっても、依然冬の真っ只中です。暖冬とはいえ、気温はひきつづき氷点下の世界で、植物が目覚め始める5度には程遠いです。
樹木の葉が落ちてから3ヶ月、木々はどのようにして、長くて寒い冬に耐えているのでしょうか。この時期、人がほとんど訪れない森に入ってきました。
馬追の森
札幌から東方向に車で1時間、南空知に馬追(まおい)丘陵があります。地元の人以外余り知られていない丘陵で、私もこれまで一度も訪れたことはありませんでした。
標高200~300mほどの大小のこぶが連なる丘陵で、その一角に長官山(標高254m)と言われる山があります。面白い名前の山です。ガイドによりますと、明治時代の北海道長官(今の知事に相当)がこの山に上って、眼下に広がる石狩低地帯の開拓構想を練ったといわれ、それを記念してつけられたそうです。
長官の気持ちになってこの山の頂上を目指そう。8人の仲間はスノーシュー(西洋かんじき)をつけて長沼から雪の山に入りました。
麓は70mほどですので、ざっとスノーシューで180mほど上ります。これはちょっと難儀だな。先頭のガイドは、いつのまにか最後尾になる私を見ては、「鳥の鳴き声に耳をすませてみましょう」と言って、何度も何度も小休止をしてくれます。
表情豊かな冬芽
この地域は雪の深い所で知られていますが、今年は50cmほどしかなく例年の半分以下です。びっくりしたことに木の根っこに、早くも根開き(ねあき)が見られました。根開きは太陽光の輻射熱で、木の根の雪がいち早く溶けて穴があく現象で、日の光が強くなる春先の森に見られます。穴はまだ小さいですが、例年より1ヶ月以上早い現象に、今年は暖冬だということを実感します。
尾根伝いに歩きながら左右の木々を観察していきます。葉をつけているのは針葉樹のトドマツだけで、あとはほとんど葉を落とした落葉樹です。
枝の先端には冬芽がしっかりついています。頭が凸凹になっているもの(ミズナラ)刀の先のようなもの(ホオノキ)柔らかい産毛で覆われているもの(キタコブシ)そして長い耳を持ったウサギの顔をしているもの(オオカメノキ)・・・
冬芽の観察は冬の森の楽しみの一つです。いずれの芽もまだ堅く、植物の春はまだ先です。
ミズナラ
ホオノキ
キタコブシ
オオカメノキ
さまざまな表情をしている冬芽は、冬の間に成長するものではありません。落葉する秋に、すでに翌年の春に向けてのエキスをすべて包含しています。そして長くて厳しい冬の間じっと耐えて、気温の上昇を待ちます。次の世代に命をつなごうとする植物の用意周到さには、驚くばかりです。ウサギのようなオオカメノキの冬芽の耳の部分には葉のエキスがあり(葉芽)、顔の部分には花のエキスがあります(花芽)
自然の克服
スノーシューで休み休み上ること2時間弱、ようやく頂上に着きました。途中で吹雪いた雪もあがって、雲の流れは速く、瞬く間に青空が広がって、視界が見る見る鮮明になってきました。まるで私たちを歓迎してくれてるようです。眼下には雪原が広がり、所々に集落が見受けられます。
明治以前このあたり一帯は、石狩川とつながる千歳川の暴れ放題の石狩低地帯でした。川がいくら暴れても、人がいない限りは水害でなく、まさに自然の為すがままの姿でした。人が開拓に入ってからは大雨が降るたびに水害常襲地帯となり、以降入植者の歴史は水害、洪水との戦いの歴史でした。
全国でも例のないほどの大規模な土地改良と、農業基盤整備が進められ、いまでは眼下の雪原の下には、北海道でも有数の美田が広がっています。いつの間にかお米の生産量が新潟県を抜いて、北海道が全国一になる原動力ともなりました。広い北海道の中でも、単に森を切り開いた開拓でなく、莫大な公共事業で自然を克服して開拓した典型的な地域とも言えるでしょう。
長官山の頂上にはやぐらが組まれ、テーブルと椅子が配置されていました。格好の眺望台となっていますが、もしかしたら明治中期にこの山に上った北海道長官が眼下に広がる泥炭地をみて、開拓構想を練った場面を想定したのでしょうか。それにしても、当時けもの道しかなかったような原始の森を潜り抜けて、よく長官自ら頂上に上ったものだと思いました。山好きの長官だったのでしょうか。この長官、渡辺千秋といい、重要文化財になっている道庁赤レンガ庁舎の長官室に額縁で飾られていました。
このあたりはいまでもヒグマが出没し、「この先立ち入り禁止」という去年夏につけた標札とロープが張ってありました。
植物界のブラキストンライン
山頂から見渡せるパノラマは、地域名では長沼町・栗山町・旧栗沢町・旧北村(旧は平成の大合併で現在岩見沢市に編入)にあたり、総称して南空知と呼ばれています。栗山町とか栗沢町とか栗の名前がついていますが、このあたりがクリの北限地です。南空知に隣接する江別市の森には 「北限地帯のクリ」という立て看板が立っています。 (写真右:8年7月)
北海道はブナの北限の渡島半島の付け根から、石狩低地帯、ウトナイ湖、苫小牧の勇払原野にかけてのラインで、樹木が温帯から冷温帯の樹木に変わります。日本列島は津軽海峡を境に、生息する生物ががらりと変わり、このラインを発見した人の名前をつけて「ブラキストンライン」と言っています。それは動物界のことで、植物界では石狩低地帯を中心とする上記ラインに、ブラキストンラインがあるといわれています。
自衛隊違憲判決
長官山を中心とする自然豊かな馬追丘陵の存在を、一気に全国区にした大きな問題が40年ほど前に起きました。長沼ナイキ訴訟です。防衛庁は北の守りの要として馬追山にナイキ基地を建設することになり、そのための国有林の保安林解除をめぐって住民と争った裁判で、自衛隊は憲法違反であるという初の判決が昭和48年札幌地裁で出されました。以来、長沼ナイキ基地訴訟は、自衛隊は違憲か合憲かをめぐり、砂川事件と並んで最高裁まで争った象徴裁判となりました。
長官山の頂上からは同じ丘陵の反対側にある長沼基地は見えませんでしたが、40年前の熱い論争の原点に初めて立って、当時の福島裁判官、そのとき浮かび上がった青年法律家協会のメンバーはいずこに、としばし立ちすくみました。
長沼には基地とは別に、現在航空保安施設・長沼NDBがあり、新千歳空港が南風の場合、航空機は長沼NDBで旋回して進入着陸態勢に入ります。
低い丘陵ですが見渡す限りの石狩大平野です。この地に立つと、馬追丘陵が空の要衝であることがよくわかります。私たちは頂上近くにある明治の小説家・辻村もと子の文学碑に座って昼食をとりました。辻村もと子は第一回樋口一葉賞を受賞しました。その受賞作「馬追原野」は、長沼の開拓に入った父親をモデルに、石狩の野に生きた人間を愛情をこめて描いた作品、と碑に刻み込まれていました。
碑の周囲は午前中に降った新雪で動物の足跡もなく、私たちがつけていくスノーシューの跡しかない無垢の雪です。こうしたところで食べる食事はことのほかおいしく、眺望がおにぎりの格好の味付けとなりました。
春のきざし
よく、「行きはよいよい帰りはこわい」と言います。けど、山にいきますと、やはり上りは辛くて下りは楽です。ただ、スノーシューの構造は、下りより上りに強くできています。スノーシューの裏にはスパイクが付いてあり、絶対滑らないようになっているためです。逆に急な下りはスノーシューが大きすぎて、歩くのが大変です。横になって蟹歩きなどせず、歩幅を小さくしてまっすぐ歩くのがコツで、スパイクが効いて滑らず良いようです。
気持ちに余裕がでる下りでは、冬芽を細かく観察できました。麓近くで初めて色の付いた冬芽を見つけました。エゾニワトコです。(写真左)対生の丸い冬芽が緑色です。鉛色の冬の森で、新たに吹き出した新しい命です。
もともとエゾニワトコは他の木と比べて、春の芽だしは早いことで知られていますが、2月下旬で観察できるとは驚きです。例年より1ヶ月以上早いです。ついに春を見つけました。疲れを忘れる瞬間です。初めて入った馬追の森の、よき思い出となる冬芽との出会いとなりました。(完)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。
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