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札幌幌馬車の主 逝く
【北の国からのエッセイ】 2009年04月08日

札幌の都心を カポッ カポッ と歩く馬車は、札幌夏の観光の顔になっている。 その手綱を長年とっていた幌馬車経営の土屋光雄さんが急逝したという訃報記事が、先月末新聞に掲載された。

享年73歳。「えっ あれだけ元気だった人が」と思った。

札幌観光の人気者
札幌の観光馬車は、大通公園から時計台・旧北海道開拓使の通称道庁赤レンガ庁舎などの都心部を、観光客を乗せて歩く。

明治2年、明治新政府が原生林を切り開き、札幌の建設をいち早く始めた地域で、かっては本府地区とも言われた。いまは一番の都心部となっている通りを馬は闊歩し、土屋さんが手綱をとった。 幌馬車に揺られる観光客に対して、土屋さんはガイドもした。

首都圏の都会人にとって、馬そのものが珍しく、馬のお尻や尻尾に触ったりしていた。そして、土屋さんに頼んで馬と一緒に写真に収まっていた。外国人観光客もよくカメラを向けていた。幌馬車は、いつの間にか札幌の観光になくてはならぬ存在となった。(写真上:こどもを乗せる土屋さん  06年6月 )

幌馬車誕生
札幌に幌馬車が初めてお目見えしたのは昭和53年、いまから32年前のことである。路上を馬車が通るー 観光馬車が現実にある現在は、それほど驚かず、簡単なことのように思える。しかし、初めて都会のど真ん中に馬を歩かせるということは、並大抵のことではなかった。

あちこちから待ったの声がかかった。 道路を馬が歩くと交通渋滞になる、当たりかまわず落とすぼボロ(糞)は町の美化を損ねる・・・ よりによって札幌のど真ん中を馬が歩くなんて・・・ 初めて申請が出たときの札幌市議会は反対論が渦巻いたと言う。 (写真左:手綱をとる土屋さん 06年7月)

観光ボランティアで街を歩いていると、しばしば土屋さんに会い、すっかり顔なじみになった。 土屋さんは暇なときにいろいろな話を聞かせてくれた。札幌の街に馬を歩かせるのは、それほど難しいことか、 すっかり弱気になっていた土屋さんを励ましてくれた人がいた。 ほかならぬ当時の札幌市長だったという。 札幌市長は札幌観光に馬車があってもいいとして、反対論を押し切って許可を与えてくれたという。

以来、土屋さんは、その市長には足を向けて寝ることはできなかったと振り返っていた。 ヨーロッパの観光都市に行くと、馬車はあちこちで見かける。 オーストリアのインスブルグ、ハンガリーのブタベストなどでは観光客の足にもなっている。 (写真:インスブルグ 03年10月) 議会というところは保守的で、出る杭を叩くのが仕事かと思ったという。

ボロの後始末
許可が出て以来、土屋さんが一番気を使ったのは、馬のボロ(糞)の後始末だった。 これで街を汚しては市長さんに申し訳ない。 馬が休むたびに道路に水を流すのが土屋さんの日課となった。

また、世界で初めてという馬糞処理道具を開発した。(写真左) 馬は賢く、仕込むとボロをもよおすときに後ろ足をたたいたり、振り向いて尾っぽを上げたりする。 そのシグナルでさっと処理道具を差し出すと、見事キャッチである。 インスブルグでは確か後ろに板を敷き、その上に落ちたボロを御者が後始末していたと記憶する。

芦毛の金太・銀太
30年以上も馬車を動かすと、馬もどんどん代わる。 最初は「金太」といった。金太にも初代、二代といた。 今は「銀太」でこれも何代目となる。 これら金太・銀太に共通しているのは芦毛、毛の白い馬である。(写真下:金太時代の馬車 02年7月)

サラブレッド世界で芦毛の馬が活躍したのは、20年ほど前のオグリキャップ以外、余り聞かない。 活躍しない馬は、時期になるとサクラ肉になるのがオチである。 それに対して芦毛の馬は、こうやって観光の担い手として余生を過ごすことができる。

「芦毛は幸せだねえ」 土屋さんに言ったら、「芦毛は需要があって確保するのは大変なんだよ」と言って笑っていた。 最近ではユキチャンという白毛の馬がオープン馬として活躍している。 引退後も、さぞ引き取り手の多い人気馬となるだろう。

札幌観光新時代
札幌の街を観光する乗り物として、最近はいろいろのものが登場している。 屋根のない二階建てバスから、三輪車のような自転車(ベロタクシー)まで街を徘徊している。 (写真左:銀太のひく馬車の後ろがベロタクシー 08年6月)

幌馬車の独壇場ではなくなった。 けど、土屋さんは、悠然と馬の手綱をとっていた。 そして十分共存できると言っていた。

去年からは高齢の土屋さんに代わって二代目が手綱をとるケースが目立ってきた。(写真右:08年7月) そのせいか、すっかりご無沙汰し、訃報記事で消息を知った。

札幌観光に一役を担った人生だった。 「お孫さんができたら連れて来な、いつでも乗せてあげるから」 これが口癖だった。 ご冥福をお祈りします。(完)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。