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ライラックまつり
【北の国からのエッセイ】 2009年05月27日

5月下旬、さっぽろライラックまつりが始まった。

初夏の訪れを告げるライラックの花が、札幌では公園や住宅の庭越しから顔を出している。まつり会場の大通公園には、ライラックの甘い匂いが漂い、市民や観光客はライラックの下のベンチで初夏の柔らかい日差しを楽しんでいる。

最近は地球温暖化や天候不順などで、花が咲くべき時期にもう終わっていたり、まだつぼみだということが多い。

ところが、今年はライラックだけでなく、大型連休期間中にサクラが満開になるなど、季節の花が人間の作ったイベントカレンダーにあわせるように咲いている。札幌では5月に入って花が次々に咲くが、ライラックが5月のしんがりをつとめる主な花でもある。

札幌市の木
ライラックは「札幌市の木」である。市民の投票で選ばれた。

冷涼な気候を好む花で、本州ではなじみが薄い。色は淡紫、紫、青紫、淡紅、白などさまざまだが、毎年観察していると白が一番先に咲くような気がする。

ライラックは高くても5m以上にはならない低木の落葉樹で、長さ10~20cmの花序に芳香のある無数の花を枝先につける。花びらの先は通常4つに裂けているが、まれに5つに裂けているのを見つけるとラッキーライラックといって喜ばれる。

華やかさがあるわけではないが、紫色の房状の花はいかにもみずみずしい。

花言葉は「愛の芽生え」「初恋の感情」と青春を感じさせるものが多い。ときめきの中にどこか寂しさと哀しさを秘めた恋心が、紫色の花にマッチしているのだろうか。

♪恋の街・札幌♪ のイメージによく似合う。

すべてが他国から来た者同士のサッポロの街にライラックは良く似合う。それは菊でも桜でもいけない。
明治に築かれたサッポロは紫色の冷え冷えとしたリラ(ライラック)でなければ似合わない。


札幌で生まれ育った渡辺淳一は、幼き頃から見慣れてきたライラックをこのように書いている。

ムラサキハシドイ
ライラックは英語である。フランス語では「リラ」、中国語では「丁香花」。いかにもライラックのイメージをつかんだ呼び名である。

フランスでは「リラの咲く頃」とは一番気候のよいことを言うそうだ。イギリスでは5月祭りの花でもある。

それでは、日本語での呼び名はというと「ムラサキハシドイ」である。ちょっとダサいイメージだが、これが正式な和名である。

渡辺淳一は
「ライラックの日本名はムラサキハシドイだが、これではいかにも味気ない。札幌の人はこの木をライラックかリラとしか呼ばない」と切り捨てている。

確かに「この木はムラサキハシドイですね」といわれると構えてしまいそうだ。

外来種
ライラックはもともと日本の木ではない。ヨーロッパ南東部原産で、日本には明治時代にアメリカの宣教師スミス夫人が札幌に持ってきたことから始まる。

花の咲き方が、北海道の自生種「ハシドイ」によく似ていて、色が紫色であったことから「ムラサキハシドイ」という名前がついた。「ハシドイ」は花が枝の先端に集まって咲く「ハシツドイ」が訛ってハシドイになった。

ハシドイの花の色は薄い黄色で、ちょっと影が薄い。(写真左)
ムラサキハシドイより1ヶ月ほど遅れて7月に咲く。

一般的に植物の和名にはあまり情緒はない。昔の植物学者はどんな気持ちで名前をつけたのかと思う。この花にぴったりだなあと思う和名は「君影草」(スズラン)くらいである。


試練のライラック
布教のため札幌にきたスミス夫人は、一度里帰りして再び札幌の地を踏んだとき、故郷から3本のライラックの木を持ってきた。このうちの2本は自らが作った学校で、いまの北星学園大学の前身の構内に植えた。もう1本は北大植物園に植えられた。この3本の木からライラックは分岐され、札幌の街にライラックがあふれた。

ところが、このライラックに不幸が訪れた。戦時中ライラックは「敵国の木」としていじめられた。街中のライラックは伐採され、北星学園の2本の木まで切られてしまった。ライラックには何の罪もないのに、戦争が人間を狂信的にする典型的なケースといえようか。

かろうじて北大植物園の1本のライラックは難を逃れた。「お国のためにやった」暴徒は、国の管理する植物園にまで足を踏み込むことに躊躇したのだろうか。戦後、この木から枝分けされたライラックが再び札幌の街に植えられた。

植物園のライラックは樹齢120年経っても健在で、毎年淡い紫色の花を咲かせている。(写真右)
そして母の樹として、日本最古のライラックとして大切に保存されている。

今年もライラック祭りの初日、2000本の苗木が無料で市民にプレゼントされた。苗木をもらおうと会場の大通公園には、1時間も前から長蛇の列ができた。
家ごとに リラの花咲き 札幌の 人は楽しく 生きてあるらし
歌人 吉井勇の歌碑が大通公園に立っている。

リラ冷え
リラ冷えという言葉がある。「下痢でもしそう」なんて言わないでほしい。とても響きのよい言葉である。今では俳句の季語だけでなく、気象用語にも記載されている。気温がようやく20度くらいに上がる初夏の5月下旬から6月、オホーツク海高気圧が張り出して冷たい空気が北海道に流れ込み、気温が10度台にまで下がってひんやりとした状態がリラ冷えと言われている。

渡辺淳一の名著「リラ冷えの街」からうまれたと思われがちだが、実はそうではない。
リラ冷えや 睡眠剤は まだ効きて

昭和35年、札幌の俳人榛谷(はんがい)美枝子さんが詠んだこの歌が始まりだといわれている。榛谷さんがどのような状況であったのかよくわからないが、道幅の広い札幌駅前通りから大通公園に向かって歩いているとき、ふとこの言葉が浮かんだという。

それから11年後の昭和46年、渡辺淳一が書いた男女の愛情物語「リラ冷えの街」で一気に広まった。リラ冷えの日は天気が良いけど気温は低く、半袖では寒くて腕をこすりたくなる日でもある。

ライラックのなれの果て冷え
色鮮やかなライラックの花は、その命を終えるとサクラのようにさらさらと散るということはない。むしろ逆で色が茶色になっても、老醜をさらしながら、なおしっかり枝についている。これがライラックの大きな特徴のように思え、日本ばなれした異国情緒を醸し出す。
フランス東部にディジョンという古い町がある。早朝ホテルの周囲を散策してると、枝に茶色のもやもやとしたものを一杯枝につけた樹を見つけた。(写真左)

なんだろう。葉の形などから、この樹がライラックであることに気づくのにそう時間がかからなかった。

札幌でライラックの咲き始めから終わりまで見ていると、何も老醜まで晒さなくてもいいのになあといつも思う。ところがある日突然、最後の部分の赤茶けた花のなれの果てだけを見せつけられると、それはそれで趣があると強く感じた。4年前、忘れることのできないライラックとの異国での出会いであった。


望郷樹
日本の国土の22%が北海道、その内の70%が森林で覆われている。北海道にある樹を大別すると、もともと自生しているハルニレやナナカマドなどの「自生種」と、外から持ってきたライラックやプラタナス、ポプラ(いずれもアメリカ)などの「外来種」に分けられるが、もう一つ「望郷樹」とか「郷愁樹」といわれる樹がある。

明治以降、本州から入植した開拓者は、故郷を忘れることができず 寺や神社の境内にあった木を持ち込んで植えた。イチョウやクリ・キリ・スギ・サワラ・アカマツなどが多い。代表的なものとして、噴火湾に面する伊達市の開拓の碑の背後に、大きなクリの木がある。(写真右)

徳川方についたため、明治新政府に冷遇されて路頭に迷い、藩あげて北海道に移住した伊達亘理藩の殿様と筆頭家老は、このクリを眺めては故郷を偲んだことだろう。

ライラックを日本に初めて持ちこんだスミス夫人にとって、もしかしたらライラックは夫人自身の望郷樹であったのかもしれない。

梅雨のない北海道
ライラック祭り会場の大通公園には400本ほどのライラックが植えられている。一番多い木である。

そのライラックの下にベンチがおいてあり、天気の良い日は誰かしら腰をかけている。ライラックが咲き終わる6月、つゆのない札幌は毎日からりと晴れた良い天気がつづく。

サードエイジに入って久しい私はまだ足腰が動き、暇さえあれば野山を歩いている。しかし、弱くなったら大通公園のベンチで横になり、柔らかい陽を受けながら本を読む、これが私の夢である。

おそらく本を開いて10分もしないうちに、いびきをかくことだろう。夢ではなく、あと数年で現実になるのかもしれない。ライラックのなれの果てに次第に近づきつつある。

先日ベンチで横になっている幸せな男を見た。(完)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。