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イベリア半島への旅(3)~ コルクの木 ~
【北の国からのエッセイ】 2009年06月19日

コルクといえば、多くの人はワインの栓を思い出すことだろう。そのコルクは、コルクの木からつくられているという。世界のコルクの80%はポルトガルとスペインで生産されている。

コルクの木ってどんな木だろう。今回の旅で楽しみにしていた、コルクの木とのご対面が、意外に早く訪れた。

灼熱の国境地帯
私たち一行は、大西洋に面するリスボンを後にして、スペインに向かうため内陸部に向かった。細長いポルトガルとスペインの国境までは、車でおよそ2時間である。もともと人口の少ないポルトガルは、リスボンを離れるとすぐ潅木の原野となり、雨の少ない地域なのだろうか、赤焼けた土が目立ってくる。途中、トイレタイムでバスは止まった。降りると灼熱の暑さで、気温は30度を越えている。

しかし、湿度が低いため木陰は和らぐ。樹高10~15mのずんぐりとした木々が生えており、ガイドはこれがコルクの木だという。近寄って観察すると、手の届く範囲の樹皮の一部が、すべて剥がれていた。(写真右)

まるで、因幡の白兎が皮をはがされたようだ。 豊かな毛を刈りとられた羊のようにも見える。また雪で食べ物がなくなったエゾシカによって、樹皮をすっかりかじられた木のようにも見える。

コルク樫
一般的に、樹木は幹のすぐ内側に、コルク質の細胞の層がある。コルクは細胞壁が厚くなった死細胞で、多孔質で弾力がある。こうした性質を持つコルク層は、ワインの栓にぴったりなのだろう。コルク層を持つ木からすべてワインの栓ができるかというと、そうでもない。コルクの木と言われているのは「コルク樫」といって、ブナ科の常緑の樫の一種である。英語では"Cork oak" と呼ばれている。

地中海の温暖な気候を好み、イベリア半島・イタリア南部・北アフリカで育つ。オーク類にはコルク層の発達したものが結構あるが、厚くて最上のコルク層は、コルク樫だという。小休止した土産物店には、コルクでできた財布からバッグ、籠や置物まで、さまざまな製品が並べられていた。(写真下)

 

これらは、厚いコルク層からワインの栓をくりぬいた後のコルクを再利用して作られたもので、高級材としてのコルクボードまであった。樹皮を剥がされたコルクの木は枯れることはなく、自然に再生され、8~10年もすると、また剥がされるという。コルクは自然のエコロジーともいえる。

きれいに樹皮が剥がれたコルク樫のそばに、樹皮をほじくった形跡のあるコルクの木があった。観光客が自分の目でコルク層を確かめたかったのだろうか。とてもよく理解できる、いたずら痕だった。 キハダの木に黄色の肌を確認しようと、よくこうした樹皮が見られる。







国境に向かう車窓から見える木のほとんどは、コルク樫である。延々と連なっている。(写真右)

コルクはポルトガルの重要な外貨獲得物で、日本が輸入しているコルク栓の9割は、ポルトガル産であるという。コルク樫については、かねてから北大植物園の元園長から話をきいていたが、初めて観察でき、旅一番の収穫となった。

長い年月をかけて環境に順応して、自らの体を変化させて生き続ける植物の生命力に、改めて感嘆した。

ローマ時代の遺跡群
バスは国境を越えてスペインに入ると、メリダという小都市に入った。メリダは昔は交通の要衝で、ローマ時代の遺跡が多く残されていた。1万4000人を収容したという円形劇場や、圧倒的なスケールを誇るローマ劇場が、紀元前にこんな田舎に建てられていたと思うと驚きだ。

当時は相当の大都市だったのだろう。ローマ時代の遺跡が多いメリダは、「小ローマ」と呼ばれており、遺跡群は世界遺産に指定されている。(写真下左:円形劇場、写真右:ローマ劇場)

 

ガイドの説明を聞きながら歩くも、炎天下に遮るものがないとなると、見物も楽ではない。今朝のテレビの天気予報では、内陸部の最高気温は38度といっていた。円形劇場では、ライオンが出てきたという通路の日陰に入って休む。捕虜にした人間とライオンの戦いをみて、古代ローマ人が楽しんだ公共施設である。人間のもつサデステックな一面を満たした遺跡は、後日に見物した現代の闘牛にも通じるものがあるのかもしれない。

朝、リスボンを発ったバスは、メリダを経由して、スペイン南西部の大都市セビリアまで走った。走行距離をドライバーに尋ねると、ざっと500キロだという。これは札幌からあちこち植物観察して、根室に至るに相当する。いつも強行軍だと実感する距離である。新幹線で言えば、東京から名古屋を経て、京都までの距離にほぼ匹敵する。

暑さの中、よく移動したものだ。午後9時すぎの夕食もそこそこ、シャワーを浴びてバタンキュー。スペインでは夜9時でもまだ明るい。(つづく)


望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。