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イベリア半島への旅(4)~ コロンブスと関わりのある町~
【北の国からのエッセイ】 2009年06月23日

セビリアに入ると、街に気品が感じられるのにすぐ気づく。 観光馬車も闊歩して、町全体にあまり生活のにおいがしない。毛並みの良い町だ。

人口70万余、スペイン第4の都市である。南部の政治経済文化の中心都市であり、同時にスペイン最大の観光都市でもあるという。
ガイドの丁寧な説明を受けながら、2日間歩き回ると、セビリアは歴史上消えることがない位置づけのある町だったということがわかってきた。

イスラムのにおい
セビリアの中心部に、ひときわ高いヒラルダの塔がある。観光客が必ず訪れる人気の塔で、セビリアのシンボルだという。
このヒラルダの塔は高さが98mあり、イスラム教徒の礼拝所・モスクの尖塔だった。(写真左)

ジブラルタル海峡に近いセビリアは、8~13世紀にかけて、海峡の対岸の北アフリカのモロッコから入ってきたイスラム教徒の支配下にあり、イスラム文化繁栄の舞台であった。ヒラルダの塔はその時建築されたものだという。

ところが、13世紀にキリスト教徒によって、スペイン最後のイスラム王国は崩壊する。イスラム教徒の象徴であったモスクは取り壊されるが、尖塔だけは鐘楼として残されたという。


ヒラルダの塔は頂上まで上がれる。上がれるというと、無理をしてでも上がってみようというのが人間の心理である。

ヨーロッパ各地で上った塔はみな階段で、休み休み上ったが、ヒラルダの塔は階段ではなく、初めてスロープだった。イスラム教徒が馬で上るためスロープにしたそうで、実際上ってみて、スロープのほうが楽に感じた。

360度見渡せる展望台から見るセビリアの町は、緑と落ち着いた家並みで、観光国際都市にふさわしい街並みだ。(写真右)

セビリアだけでなくスペインでは、中世の歴史的建造物がよく残り、あちこちで街自体が世界遺産に指定されている。ヨーロッパを二分して戦った第二次世界大戦で中立を守ったため、空襲を受けることがなかったという。

キリスト教徒の繁栄
イスラム教徒に代わり、セビリアを占拠したキリスト教徒は、15世紀、イスラム教のモスクに代わって、後世の人が「正気の沙汰ではない」と思うほどの巨大な聖堂を意識して建設した。
セビリア大聖堂は、ローマ・ロンドンの大聖堂とともにヨーロッパ三大聖堂の一つとなっている。(写真左)

イスラム教の尖塔とキリスト教の大聖堂が、相接して共存しているのも興味深い。

このセビリア大聖堂にある数々の宝物には目を見張った。これはアメリカ大陸を発見したコロンブスと密接なかかわりがあるという。好奇心がふつふつと沸いてくる。

コロンブスの足跡
セビリアは、直接地中海には面していない。地中海から80キロほど内陸部に食い込んではいるが、川によって地中海と通じており、中世港湾都市として発展した。

15世紀、スペインの女王の支援を得て船出したコロンブスは、西へ西へと向かえばインドに到達すると思い、ついに1492年アメリカ大陸を発見する。といってもコロンブスは死ぬまで到達したところは、インドだと思っていたらしい。大陸から運び込まれた莫大な金銀香辛料などの交易品は、大半が略奪品だったらしいが、川を遡ってセビリアに運び込まれた。セビリアは大陸との交易を一手に握り、独占港として繁栄した。

アメリカ大陸発見の年次を、コロンブス アメリカ発見 石の国(1492)と覚えていたが、石なんてとんでもない。ピッカピッカのひかり物だった。女王の頭にのせられたという金銀エメラルドが散りばめられた、顔よりはるかに大きい王冠の数々、そのひかり物が大聖堂に陳列されていた。(写真下左)




中央礼拝堂には巨大な黄金のレタベル(祭壇衝立)があった。(写真上右)
高さ23m、巾20mのレタベルには千体以上の彫像で、聖母マリアとキリストが眩いばかりに輝いており、使われた金は2.5トンに達するという。

大聖堂の内部を歩くと、金銀がこんなに身近にあってもいいのかと思うほどあふれている。記録によると新大陸からセビリアに持ち込まれた銀は、登録されたものだけでも160トン余り、それまでヨーロッパが保有していた銀の3倍に相当し、金も18万トンで、全ヨーロッパの5分の1に達していたという。

コロンブスの棺
その大聖堂にコロンブスの棺があった。コロンブスの晩年はおちぶれて、悲惨な末路だったという。後になって、まさかこんなところで丁重に葬られているとは、当のご本人もびっくりのことだろう。コロンブスはドミニカに葬られたが、その後一度キューバに移され、19世紀末のキューバ独立の際にスペインに返還された。

本物かどうかといううわさは絶えずあったというが、コロンブスの子孫とDNA鑑定したところ、一部の骨が一致したということがつい最近わかったという。ガイド曰く「いろいろ混ざっているかもしれないが、コロンブスの骨もあったということでしょう」

そのコロンブスの棺は、当時のスペインの4つの国の王によって担がれている。その一つがカスティーリャ王、その着ているものが文明堂のカステラの包装紙に似ている。(右写真の左の男)

カステラはスペイン語の外来語である。なにか「かんけい」ないかしら。

セビリアの町にはオレンジがあふれていた。ヒラルダの塔(写真左手前)と大聖堂に囲まれた中庭は、オレンジの中庭として知られている。イスラム教の信者がここで沐浴したところで、キリスト教の時代になってオレンジが植えられたという。

支配者は自分たちの宗教の優位を示すため、常に破壊と建築を繰り返す。ところが、ここではイスラムとキリストとの見事な調和が見られた。ガイドはダイナミックなスペインの歴史を現していると解説する。

黄色くて大きいオレンジの実がたわわになっていた。

(つづく)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。