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一属一科の花
【北の国からのエッセイ】 2009年07月09日

シラネアオイという花がある。(写真右)
高山性の草地や明るい林の中に生える、高さ20~50cmの多年草である。

シラネアオイ科シラネアオイ属で、これに属する植物はシラネアオイしかない。昔はキンポウゲ科に属していたが、どうも違うということで、この花のために新しくできた科である。いわば一属一科の植物で、世界にはない日本固有の植物である。

東日本の高山地帯で観察されるが、北海道では「シラネアオイならオロフレ峠」で通るほど、オロフレ峠は、シラネアオイの群生地として知られている。6月下旬、植物愛好家で作ったサークルで、バスを仕立ててシラネアオイの鑑賞に出かけた。

オロフレ峠
太平洋岸に沿って走るバスは、室蘭市の隣町・登別市から山あいに入り、登別温泉、カルルス温泉を経て、オロフレ峠にいたる。
さらにどんどん進むと、洞爺湖温泉に出る。オロフレ峠は、ちょうど登別温泉と洞爺湖温泉の中間に位置する、海抜930mの雪深い峠である。

このオロフレ峠付近から気象状況ががらりと変わり、西の伊達・洞爺湖方面が海洋性に近い気候になるのに対し、東の白老・苫小牧方面は多雨地帯でガス(濃霧)が発生しやすい。

札幌を出発したバスの前方は、次第に雲行きが怪しくなってきた。低く垂れ込めてきた雲をみて、私たちは女性リーダーの発声で車内でお祈りをした。

ニサッタカ シリピリカクニエ
 これを三回繰り返した後、最後に両手を上にあげて  アーホイヤー  と叫んだ。
アイヌ語で 「あしたてんきにな~れ」 「きょうも最良の日でありますように」

自然を神と崇めて生きてきたアイヌの人たちは、敬虔な気持ちでアーホイヤーといったのだろうが、私たちにはなんとなくユーモラスに聞え、祈りを終えた後、拍手と爆笑に包まれた。

信仰心に欠けていたのか、1時間半ほど走って辿り着いたオロフレ峠は深いガスに包まれていた。(写真右)



シラネアオイの群生
雨具を着込んで山道を歩き始めてまもなく、先頭を行く人から「ある、ある」という言葉が聞えてきた。強風で曲がりくねったダケカンバの下に、薄ピンクのシラネアオイが咲いていた。時期的にちょっと遅いかなと心配したが、そんなことはない。見事なシラネアオイの群落である。

シラネアオイは飾り気のない花である。直径5~7cmほどの淡紫色の花が、恥ずかしそうにひらひらしている。ガスでしっとり濡れている。花びらに見えるのは4枚のガクであり、シラネアオイには花弁はない。

シラネアオイは群馬県の白根山で発見され、花がタチアオイに似ていることからこの名がついた。日本固有の貴重な植物で、群馬県などでは絶滅危惧種に準ずる植物として扱い、保護団体などが結成されていると聞く。

北海道ではオロフレ峠だけでなく、あちこちで観察されるが、それでも絶滅の危機が増大している植物 「絶滅危急種」 に指定されており、大切に見守りたい植物だ。

観察される高山性植物
山道をちょっと歩くと、次々にいろいろな花が観察され、写真を撮ったりすると、人一人しか通れない道はすぐ立往生する。樹木ではウコンウツギが盛りだった。(写真下左)
ウツギの仲間はたくさんあるが、ウコンウツギは黄金色の花を枝一杯に咲かせており、とても存在感がある。
 

平地ではまず見られないコヨウラクツツジに出会った。(写真上右)
数年前に初めて観察したとき、これがツツジ?と思ったほど花は小さく、見逃しやすい低木だ。リンゴ状の小さい花が長い枝先にぶら下がっている。

「ツツジの中でこの花が一番大好きなのよ」。ピンとこない花であるが、植物を手取り足取り教えてくれたかわいい先生に言われて以来、忘れることのできない高山性のツツジである。

足元を見ると岩肌にへばりつくように小さな花が咲いている。
イワカガミ
(写真右)や、アカモノなどの高山植物だ。大雪山系に行くと当たり前のように見られる高山植物が、比較的札幌に近くて、それほど歩かなくてもいいところに咲いていると思うと嬉しくなってしまう。

緯度の高い北海道では、植物や気象も含めて1,000mをプラスするとちょうどよい、と専門家から教わった。つまり、北海道では海抜1,000m前後で、本州の2,000mの所でしか生育しない植物が十分観察できる。

また札幌市は海抜60mほどであるが、本州の1060mの所にある都市と思えばいいという。確かに夏は、たまに30度を越しても空気は乾燥して、日陰に入ると涼風が吹く、本州の高原の気候である。

逆に北海道の1500mは、もう森林限界に近くなる。植物の垂直分布からみると、北海道では高さの狭い範囲の中に、平地の植物から高山性の植物が混在して観察することができる。(写真左:アカモノのつぼみ)


サクラがまだ咲いていた
オロフレ峠は天気がよければ太平洋から室蘭まで、とても眺望がきくところである。

けど、今日は10m先に進んでいる人が、ガスで見ることができないほどだ。峠のため、道は一本しかないのが幸いだが、普通の山では遭難の恐れ十分にある状態だ。(写真右)

それでもシラネアオイを求めて、私たちの後から山に入るグループもあり、逆に戻ってくるグループもある。偶然、日ごろお世話になっている女先生に遭遇した。つい3日前、札幌近郊の野幌森林公園の観察会を主宰した先生である。

「あれっ、こんなところで会うなんて。望田さんもよく出かけてるわねえ」
「とんでもない。先生こそ、この悪天候のなかで健脚ですねえ」

聞くと東京の客にシラネアオイを案内するために来たという。広い北海道の山の中で会うとはびっくり、ご縁のある先生だ。

オロフレ峠は見晴らしが良いだけに風も強く、高木は生えていない。 低木の木のちょうど目線に当たるところに、数輪の花が咲いていた。
雨に濡れてうつむいている。(写真左)
「サクラでない、この花?」 周りの仲間に話しかける。
「こんな高いところに咲いているから、ミヤマザクラかなあ」
仲間と言い合いながら葉の付け根を見ると、サクラ特有の蜜腺があり、サクラであることを確信した。

しかし、持参した図鑑を広げてみると、ミヤマザクラのように見えるけど断定はできない。ただ、それ以外のサクラはほとんど識別できるだけに、消去法でミヤマザクラにしておこう。 勝手に納得した。

先頭を歩いていた、学者より詳しいセミプロが戻ってきたので聞いてみた。ミヤマザクラで間違いないという。単純なもので、推定していたものが当たると嬉しくなってしまう。図鑑で名前だけは知っていたミヤマザクラの花を、初めて観察した。

北海道に自生しているサクラは7種ある。本州でよく見られるソメイヨシノやヤエザクラなど、人間が作ったサクラは含まれていない。4月下旬のエゾヤマザクラから始まったサクラの鑑賞は、もっとも遅いミヤマザクラで終わりである。

ガスがひどいため1時間ほど早く山を切り上げ、ふもとの登別温泉郷に戻った。時間がたっぷりあり、温泉に浸かった。日帰りの客で入湯料800円、ほかの温泉と比べて高い。さすが北海道一ステータスの高い温泉だ。シラネアオイは堪能したし、ミヤマザクラも観察できたし・・・

温泉あがりの休憩所で「どんな写真が撮れたかな」と思ってカメラを操作すると、カメラが動かない。シャッターを押しても効かない。青くなった。ガスにやられた。雨が降っているならカメラはそれなりに防備するが、ガスには無頓着だったのが間違いだった。ガスは霧であり、霧は雨粒だ。カメラのボディにしっとりついた雨粒が中に入ったのだろう。

帰ってメーカーの指示で電池やカードを抜いて一晩様子を見たら、再び元に戻った。ほっとした。もし修理に出すとしたら、東京の工場から戻ってくるまで2週間を要し、その間のフィールドワークはカメラなしになるところだった。

天候が悪くても楽しめるのが植物観察である。むしろ、ピーカンの時より雨の方が、写真は光を気にする必要はなく、植物自体にも趣きのあるときが多い。(完)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。