_blank
     
道東1,100キロの旅(5) ~ 豊かな湿原を求めて ~
【北の国からのエッセイ】 2009年07月23日

オホーツク海沿岸の小清水原生花園から入った今回の道東の旅は、内陸部を横断して野付半島に出て、さらに南下して太平洋沿岸に出た。

道東の太平洋岸は湿原のメッカである。と同時にガス(濃霧)のかかる地域でもある。代表的な湿原、霧多布(きりたっぷ)湿原に何度も訪れているが、一度も太陽を見たことがない。もっとも、花が次から次へと咲く6月から7月が、濃霧のシーズンなので、この時期に快晴を望むのは無理なのかもしれない。

乱舞するワタスゲ
霧多布湿原は、浜中町の海岸沿いに発達した湿原である。日本では隣の釧路湿原、道北のサロベツ湿原に次いで広い湿原である。また、釧路湿原などと比べて花の種類が多く、その密度も高いため、霧多布湿原はとくに「花の湿原」とも呼ばれている。自然愛好家なら一度行ってみたいところである。

私たちが訪れたときは、ちょうど白いワタスゲが湿原一面を彩っていた。(写真左)風に揺れるワタスゲは、一本一本は頼りないけど、こうして見渡す限りのワタスゲを見ると、柔らかくても力となり、別世界に来たような気持ちになる。自然の造作に驚く。ワタスゲは霧多布湿原に初夏を告げるファンファーレである。これから7月中旬にかけて、エゾカンゾウやヒオウギアヤメなどの夏の花が、次から次に咲いていくという。

夏の気温が20度を上回ることがめったにない冷涼な気候なため、同じ花でも北海道の他の地域より咲くのが遅い。湿原の多くが農地に変化していった中で、霧多布湿原はその影響も少なく、中央の部分は「霧多布泥炭形成植物群落」として国の天然記念物に指定されている。

霧多布は霧の多いところから名づけられたのかと思っていたら、そうでもないらしい。アイヌ語で「キ・タッ・プ」茅を刈るところを意味するそうだが、明治初頭の現地役人がアイヌから聞き取り調査して、当てた漢字が霧多布である。アイヌ語に由来する北海道の地名には、何の脈絡もない難しい漢字が当てられているケースが多いが、霧多布はこの地域にぴったりだ。名付けた役人の感受性を垣間見るようで好感が持てる地名だ。語感もよい。

湿原の島だった日本列島
霧多布湿原など、道東の太平洋岸は湿原の集中地帯である。日本の湿原の8割は北海道にあり、そのうちの8割が北海道東部に集中する。つまり日本の湿原の大半は道東地方に分布しているということになる。(写真右:霧多布湿原  07.8.14)

専門家によると、日本列島はもともと湿原の島だったという。日本古来の呼び名として、古事記に「豊葦原の瑞穂の国」、日本書紀に「大日本秋津州」と書かれ、当時の情景を表している。秋津はトンボの古名で、トンボの多い州(しま)というのは湿原が存在したことをしめす。豊葦原の瑞穂の国は、葦がたくさん生えているように瑞穂、すなわち稲がよく育つ美しい国を意味する。

本州で葦の多かった湿原は、弥生時代から営々と水田に変えられた。また、河口の湿原は東京(江戸川)大阪(淀川)新潟(信濃川)などに見られるように、人間が住む地域、大都市に変貌した。人間の生活・生産活動によって湿原はどんどん変貌し、手付かずの自然はわずかになった。

    
ナショナルトラスト
残された湿原を保護しようとする試みが、霧多布湿原で行われている。霧多布湿原は住宅地に接しているため、民間の土地所有が多く、民有地の保全が湿原保全の鍵になっていた。国や自治体は財政難を理由に買い取らないため、地域の青年たちによって「霧多布湿原ファンクラブ」が結成され、民有地を借り上げることによって、湿原の保全を図ってきた。この運動は全国各地に支援の輪が広がったが、任意団体では所有権登記ができないなどの限界があった。

そこで、イギリスに見られるように、市民や企業から広く資金を集めて土地を取得する「ナショナルトラスト」の手法が取り入れられ、2000年にNPO法人が設立された。賛同する人たちの協力でこれまでに300ha以上の土地を取得したという。(写真左:ナショナルトラスト購入地  05.7.1)

日本で初めて導入された霧多布湿原のナショナルトラストは、着々と根付き、環境の保全が保たれている。しかし、多くの市民・企業の理解なくして成り立たず、不景気のご時勢、運営も大変のようだ。ここで感心したのは、単に湿原を守るというのでなく、ワイズユース=賢く使うという概念を取り入れていることである。健康で心豊かな生活を送るために自然を活用することである。環境教育の教材にも自然を使い、自然への理解を深めている。霧多布湿原で展開されているナショナルトラストとワイズユーズは、21世紀の自然保護運動の新しい試みである。

川の蛇行で自然再生
釧路湿原は、釧路川河口に広がる日本最大の湿原である。北海道にある114箇所の湿地全体の、ほぼ3分の1を占める桁外れのでかい湿原だ。人里離れたところではない。釧路市という人口20万の中規模都市に隣接しているという数少ない湿原である。去年作り直された真新しい木道を、歩いても歩いても湿原が続く。(写真右:温根内口)

ヨシ・スゲが大部分であるが黄色いヤナギトラノオ、青いカキツバタなどが散見された。また、ミズバショウのミニサイズのような植物が観察された。ヒメカイウというミズバショウと同じ仲間の水辺の植物だ。(写真下)

釧路湿原では最近乾燥化が進んでいる。 乾燥化のバロメーターといわれるハンノキの繁殖が目立っている。乾燥化が進んでいるということは、釧路湿原内の水が少なくなっていることを示す。

かって湿原内には蛇行した自然の姿の川があったが、直線にして農地が作られた。しかし、冷涼なこの地は農地として適さず、莫大な費用をかけた公共事業は無駄に終わった。無駄だけではない。川を直線にしたことにより、釧路湿原の川の流域面積が減り、その結果として乾燥化が進んだ。

そして今、湿原の再生を目指して、川の再蛇行計画が進められている。川の流域面積を広げることによって、湿原というスポンジに水を注入して乾燥化を止めようとするものである。これにも公共事業費が注ぎ込まれている。

莫大な公共事業費を使った展望のない農政の後始末を、これまた公共事業によって元に戻そうとしているのである。

湿原の価値
湿原というと、どういうイメージを持つだろう。じめじめした土地に咲く美しい花、沼沢の上を羽ばたく渡り鳥の群れ、またある人は不毛の地をイメージするかもしれない。

湿原の専門家によるとこれらのイメージはみな正しいという。湿原は陸でも水でもない存在、いわば水を含んだ巨大なスポンジであるという。水があることによって、湿原は多様な生物の生存を可能にし、そこに生育する植物や小動物によって、さらに他の生物の生存を可能にしている。

湿原の多くがラムサール条約の登録地でもある。ラムサール条約は、湿地に暮らし国境を越えて渡りをする水鳥を、国際的に保護しようとする条約である。

湿地はいわば国際空港にあたる。それは飛行機が翼を休めて安全のために点検し、旅客のために良質な食料や水を補給するように、渡り鳥にとっては安心して休息し、眠り、十分な餌を食べられる場所、そしてなによりも飛行機が十分な滑走路を必要とするように、鳥たちにとっても十分な水面がなければならない。

今回のフィールドワークに参加するにあたって、読んだ本のなかに、このような文章に接した。とても示唆に富むコメントだと思った。

今回訪れた濤沸湖、野付半島、霧多布湿原、釧路湿原はいずれもラムサール条約に登録された湿原である。日本に残された数少ない湿地である。

自然観察は、単に花がきれいだ美しいだけでなく、地球規模的な背景を知ることもとても大切だと痛感した旅でもあった。

それにしても北海道は広い。バスの運転手に3日間の走行距離を確認すると1100キロ、東京から下関に相当する距離を走り回った。(写真右:エゾカンゾウとタンチョウ  野付半島 05.7.2)(完)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。