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チロルの醍碁味(1)
【北の国からのエッセイ】 2009年07月29日

チロル地方は、オーストリアの西部に位置する。中心地はインスブルック。人口わずか12万人ほどだが、冬季オリンピックが2度も開催された都市でもある。

そのインスブルックからさらに西へ列車とバスで3時間余、スイスとの国境に近いところに、イシュグルという小さい村がある。 ヨーロッパアルプスの山あいにあって、人口1,500人余。日本の地図には載っていない。

日本では全く知られていないが、冬になれば人口の数倍のスキーヤーで膨れ上がるリゾート地として、ヨーロッパでは有名だという。日本で言えば苗場か、ニセコといったところだろうか。

スキーシーズンでもない夏の7月、碁縁があって7年ぶりに当地を訪れた。

中山チロル囲碁教室
プロ棋士に中山典之6段という名物男がいる。

プロになったのが年齢的に遅かったため、勝負師としては残念ながら大舞台に登場することはなかった。しかし、著書多数、棋界の文士として、また海外囲碁普及の伝道師として、大輪を咲かせたプロ棋士である。昭和の棋界の記録には残らなくても、"記憶に残る"異色棋士と言っていいだろう。

その中山先生が、20世紀後半から毎年続けていたのに「チロル囲碁教室」があった。囲碁教室といっても天気がよければヨーロッパアルプスをトレッキングし、天気が悪ければ囲碁三昧という、生徒に拘束のない囲碁教室である。この教室には、ドイツを中心にヨーロッパの囲碁愛好者が大勢参加し、さながら日独合同合宿の感があった。私もこれまで2回参加した。

ところが、中山先生が70歳に達した2002年。
突然先生は、今回をもってチロル囲碁の旅は終わりとするという終了宣言をした。

森と湖のヨーロッパアルプスの懐の中で囲碁を楽しんだ人は、延べ数千人に達していた。(写真:記念品を贈呈するドイツ人の代表:2002.7)

中山先生に感謝の気持ちを込めて、私は当時日本棋院の囲碁機関紙「週間碁」に寄稿し、チロル囲碁の旅が紹介された。

実は、中山先生を慕う囲碁愛好者につつかれ、その後も非公式にチロルの旅は行われていたらしい。しかし、寄る年波には勝てず、ここ2年ほどは完全にチロルとの縁は絶たれていたようだ。

これに対し、青い目の愛好者が黙っていなかった。ドイツから中山先生に猛烈なラブコールを送り、招待するのでぜひ来てほしいという。ドイツ人連名のラブレターは、中山先生だけでなく日本の愛好者にも届いた。紆余曲折の末、中山先生はこれまでの主催者でなく、一参加者として付添い人とともに参加することになった。

代わって主催者となった、チロルでご一緒したことのある名古屋のご隠居?医者と坊主から、連名で一通の手紙が舞い込んだ。医者と坊主は昔からはかりごとが好きなのか。お誘いの手紙に迷った。

この夏のスケジュールは、すでにほぼ埋まっている。その一方で、思い出深いチロルにはいずれ家内と一緒に訪れ、それを最後に囲碁の旅を終えようと、かねてから思っていた。

私もそれほど若くはなくなった。この機会を逃すと、チロルにいけないかもしれないと思った。

いずれは医者と坊主に世話になる。
よし、少し早めに世話になろう。

日程の関係で、千歳から飛行機を4回乗り継ぎ、列車とバスで着いたイシュグルは、街全体は大きくなったものの、定宿のホテルや教会、そして大自然も7年前と全く変わっていなかった。
(写真: イシュグル村全景)

(つづく)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。