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チロルの醍碁味(5)~山越えでスイス入り~
【北の国からのエッセイ】 2009年08月21日

ヨーロッパアルプスは、スイスとオーストリアを中心に東西に連なる大山脈である。標高3000~4000級の山々が連なり、ヨーロッパの気候風土に大きな影響を与えている。氷河によってえぐり取られたカール(谷)が、山を一層厳しくしている。一部は万年雪と化して氷河となっているが、最近は氷河の面積がどんどん小さくなっているという。地球温暖化が顕著に表れている。

ヨーロッパの屋根越しに、オーストリアからお隣のスイスに入った。

ゴンドラ&リフト
チロルの旅で一番楽しみにしていたのが、山越えでのスイス入りである。原色の高山植物が咲き乱れており、それを観察できると思うと、朝から子供のように浮き浮きする。

山越えして隣国に入れるほどの十分な健脚です。と言えたら嬉しいのだが、実は足はほとんど使わない。メタボな私でも、お年寄りの男女でも、誰でも山越えできる。2つのゴンドラと3つの長いリフトを乗り継いで、スイスに入る。

右の地図をご覧頂きたい。イシュグルに迫る山々には、縦横無尽のリフトが張り巡らされている。日本で最も広いスキー場のニセコの数十倍はあろうか。さすがアルペン王国、オーストリアである。

海抜1370mのイシュグルから、20人は乗れるゴンドラで20分、一気に1000m上がって、2302mの中継点につく。視界が開け、雪を頂くアルプスの稜線がくっきり見える。ヨーロッパアルプスに来たなと実感する。

ここで元気のいい一団と会う。バイクで山越えしようとする地元の若者たちである。バイクといっても日本で言う自転車だが、タイヤは少し太い。このバイクで山道を上り下りして、スイスに向かおうというグループである。(写真左)

ヨーロッパではツール・ド・フランスに代表されるように、自転車は大変盛んで、自転車で野山を走り回るのが日常のレクレーションだそうだ。ブレーキが効かなくなったらどうなるのか。斜面に車輪を取られたらどうなるのかと思うとぞっとするが、そのスリルもレクレーションのうちだそうで、若者は列を成して山道を下っていった。

国境に立つ
私たちはゴンドラから4人乗りのリフトに乗り継ぎ、オーストリアとスイスの国境に向かう。眼下の斜面には雪渓が残っているところもあれば、お花畑になっているところもある。

森林限界は最初のゴンドラですでに越えている。次第に高くなると、むき出しの岩肌が多くなる。

最初のリフトを降りたところが国境である。標高2752mの峠である両国の国旗が描かれた看板をバックに、早速写真におさまった。(写真右)

これまでにも当地を訪れているが、今回がもっとも天候に恵まれた。眺望は最高である。ただ、さすがに風は冷たい。麓のイシュグルは25℃はあったが、ここでは10℃くらいだろうか。

ここから少し歩いて高山植物を観察できるかな、と胸を膨らませた。ところが、数日前の雪はすでに溶けたとはいえ、一部でぬかるんでおり、下りは滑る恐れがあると言う地元の案内人の説明で、歩くのは断念した。

アルプスのマスコット
再びリフトに乗ってスイス国境の村に向かう。(写真左)今度は6人の大型リフトだ。こんな山奥でも6人乗りのリフトである。冬の賑わいが目に浮かぶ。リフトと地面の距離は7~8mはあるだろうか。小さな高山植物をひとつひとつ確認できる距離ではない。単にお花畑の上をリフトで移動して下っていくだけだ。





これもやむを得ないと思ったら、足元の草地に動くものが見えた。マーモットだ。(写真左)アルプスに棲息する、大型のネズミといったらいいのか、リスのようでもあるかわいい動物だ。図鑑で調べると、ネズミ目リス科マーモット属だという。足元にはマーモットのねぐらの穴がいくつも見られるが、臆病でめったに外には出ないらしい。





私たちはさらにリフトとゴンドラを乗り継いで、およそ2時間、オーストリア国境に接するスイスの小さな村に着いた。(写真左)みやげ物店がずらりと並んでいる。オーストリアでは消費税が20%であるのに対し、スイスは無税だそうだ。平たく言うなら、空港の免税店で品物を買うようなものだ。チョコレートをリュック一杯買ってオーストリアで売ると、儲けが出るという話もまんざら嘘でもないらしい。


ヨーロッパカラマツ
山越えでスイスの麓に入って、めったに見れない原産地の樹木を見ることができた。

アルプスの麓を覆っている木々は針葉樹が多く、それもドイツトウヒ(ヨーロッパトウヒ)とヨーロッパアカマツが大半である。ドイツトウヒは明治時代に日本に持ち込まれ、枝の葉が振袖のように広いことから、防雪林として、北海道の鉄道沿いに広く植林された。スイスの麓では、最後のゴンドラから眼下を眺めると、葉が密集したこれまでのヨーロッパトウヒなどとは違った樹種が、全山覆っているのに気づいた。(写真上)

ヨーロッパカラマツだ。初めて遭遇した。カラマツは、マツ科には珍しい落葉樹である。もともと北海道には自生していなかったが成長が早く、やせ地にも生えることから長野県から導入され、いまや北海道の多くの山にカラマツ林が見られる。この仲間のヨーロッパカラマツも、明治時代に持ち込まれたが、大量に導入したという形跡は見られない。樹高が日本のカラマツより高く、葉も球果も大きい。(写真右)

数年前、日高静内の旧皇室御料牧場で、日本のカラマツとは違うカラマツを観察した。(写真左:6年5月)それがヨーロッパカラマツと知らされ、天を突くような堂々とした樹形が、妙に印象に残っている。

     からまつの林を過ぎて からまつをしみじみと見き
     からまつは淋しかりけり 旅ゆくはさびしかりけり


北原白秋の詩で、すっかり淋しさの代名詞になったカラマツではあるが、春の若葉、夏の青葉、秋の黄葉と針葉樹には珍しい表情を季節ごとにみせるカラマツに、ファンは多い。スイスの山のヨーロッパカラマツが全山黄葉したときは、どんなに見事なものかと想像するだけで楽しくなった。

動く広告塔
昭和47年、日本で初めての冬季オリンピックが札幌で開催された。札幌オリンピックでは、オリンピック史上、歴史に残る大事件が起きた。私は当時札幌には住んでいなかったが、たまたまオリンピックのアルペン競技の仕事をする機会を持った。

スキー競技の華は、何といってもダウンヒル・滑降である。トニー・ザイラー以来のスーパーヒーローといわれた優勝候補ナンバーワンのカール・シュランツ(オーストリア)が、競技直前に突然帰国してしまった。

当時のアマチュア規定は厳しく、スキーの商標問題は時代の波に大きく揺れながらも厳しく規制されていた。シュランツはすでにスキーウエアでも前科があったが、札幌オリンピックのとき、オーストリアのスキーメーカーの広告をさらしたとして、アマチュア精神の信奉者であった当時のブランデージIOC会長の逆鱗に触れた。カール・シュランツは「動く広告塔」というレッテルを貼られて追放処分を受けた。

札幌オリンピックの滑降コースは、当初予定した富良野では、距離が短いうえ緩斜面で、もっと厳しいコースを作るようFIS(国際スキー連盟)から求められた。日本政府は支笏洞爺国立公園のど真ん中の恵庭岳に原生林を伐採して、支笏湖に飛び込むような滑降コースを作った。(写真右やや下が恵庭岳)自然保護団体の猛烈な反対を受けたが、政府は五輪を成功させるため、五輪終了後は復元することを約束してつくった、一回きりの滑降コースだ。いわば、金メダル最有力の世界最速男・カール・シュランツの晴れ舞台のために作られたコースだったともいえる。

しかし、シュランツは競技開始前の練習に一度滑っただけで姿を消し、秘かに新千歳空港から出国した。

ジャンプを含め、スキー競技の優勝者がインタビューを受ける際、選手は両肩にスキーの板を立ててインタビューに臨んでいる姿をテレビでよくみる。一見自然に見えるこの姿は、スキーメーカーの商標を映してもらう格好の舞台でもあった。スキーの提供を受けている選手は意識して板を肩に立てており、スキー競技の優勝者が「動く広告塔」といわれる由縁ともなった。

私はオリンピックの仕事をするまで、スキー競技は日本ではメジャーなスポーツではないと思っていた。ところが、ヨーロッパではスキーが一番のスポーツで、その優勝者は国民的英雄になる。日本で言えば、ひと昔前では大鵬と長島を合わせたもの、今流ならイチローと石川遼を合わせたヒーローともいえる存在となる。アルペンのスーパースター、トニー・ザイラーはイシュグルと谷一つ隔てたキッツビューエル出身であり、カール・シュランツもチロル出身である。(写真左:全山スキー場となる夏のイシュグル周辺の山々)

アルプスのシンデレラ誕生
カール・シュランツの暗くて重い事件を払いのけるような大番狂わせが、女子滑降で起きた。

当時、常勝でアルペンの女王といわれたオーストリアの金髪娘アンネマリ・プレルより早く山をすべり降りてきた無名の新人がいた。その名はマリテレーゼ・ナディヒ。頬がリンゴのように赤い18歳のスイスの田舎娘だった。これまで一度もコースが荒れないときに滑れる上位シードに入ったことがなく、札幌が初めてのシードだった。

ナディヒは滑降の他に大回転も制し、史上初の三冠王になるかと騒がれたが、緊張したのか回転ではコースアウトになってしまった。

彗星のように現れ、一躍ヒロインになったナディヒの優勝インタビューには驚いた。どこから現れたのか、ものすごい数の外国人プレスが群がった。ナデヒの周りには人で膨れ上がり、ヨーロッパのスキー人気のすごさを知らされた。さらに驚いたことに、このインタビューを仕切ったのがひげ面のおじさんで、ここでは日本の大新聞社も記者クラブも関係なかった。業界のボスらしき男が、当然の顔をして代表インタビューを始めた。改めてヨーロッパではスキーがメジャーなスポーツであり、新聞の一面頭を飾ると知らされ、層の厚さを知った。

そのナディヒも、オーストリア国境に近いスイスの片田舎の出身だった。初めて脚光を浴びたシンデレラ娘は、日本で言えば津軽弁のような方言しか話せず、彼女の発言をまずドイツ語で通訳し、それを英語に訳した後、ようやく日本語となって彼女の優勝の喜びを知ることができた。37年前の出来事が昨日ように思われるほど強烈な印象を受けた。当時関わった選手の名前は今でもすらすら出てくる。当時のスーパースターが誕生した当地に立っていると思うと感慨もひとしおだ。

そのナディヒは今どうしているかと地元の人に聞くと、コーチを務めた後スキーショップを経営しているという。またナディヒが金メダルを取った恵庭岳は植林されたが、森の深さが周囲と違って37年経ってもいまだにコース跡が遠目でもわかる。30年以上も経て、なお残る伐採の跡は、自然再生の難しさを物語っている。

アルペンとはアルプスのことである。アルペンスキーは、山岳地帯に住む木こりや羊飼いの生活の手段として生まれた。そのアルペン競技誕生の原点の地に立ち、張り巡らされたリフトやゴンドラを目の当たりにした。生活の道具であったスキーがレジャーに、そしてスポーツに発展し、数々のスーパースターを生んだ土壌と空気がそこにあった。冬には広々としたゲレンデとなるアルプスの山麓は、夏には残雪の中で羊や牛が放牧され、のどかな景観となっていた。(つづく)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。