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チロルの醍碁味(6)~ スキーリゾートの地 ~
【北の国からのエッセイ】 2009年08月24日
イシュグルはスキーの町である。北海道で言えばニセコのような町だ。11月から4月までのシーズンの間は、スキー客で村の人口の数倍に膨れ上がるが、それ以外は閑散としている。

ホテルは、一冬で一年分を稼いでしまおうというデカンショ(兵庫県篠山市のお祭りの際に歌われるデカンショ節より。出稼ぎの意味という説がある)商売である。最近は、夏でもトレッキングや自転車を楽しむ人で賑わっているというが、その数は冬と比べれば比較にならない。(写真:イシュグルのホテル街)

ニセコでも、通年観光をめざしてテニスコートやラフティング・乗馬などのアウトドア施設を整えたリゾート地を目指している。全山スキー場のイシュグルでは、ゴンドラやリフトが、5月から6月と秋は運休するが、夏は稼動しており、ガラガラのリフトの動力代も馬鹿にならないと思う。

ホテル代金は冬と比べて、格段にディスカウントされて、客が入ればありがたいという姿勢だ。以前、6月中旬に訪れたときは、ホテルは私たちの訪問に合わせて夏の営業を始め、象の鼻のように長いチロルの民族楽器・ホルンで私たちを歓迎してくれたことがあった。
7年ぶりに訪れたイシュグルではあるが、定宿のホテルも、隣の教会も変わっていなかった。ただ、ホテルの増築が進んで、村全体が大きくなっている感じをうけた。ヨーロッパでは結構人気のスキー場になっているようで、ドイツ・フランス・スイスあたりからの客が増えているいう。

日独囲碁合宿
格安の時期を狙ったチロル囲碁の旅には、ドイツと日本から、合わせて30人ほどが参加した。7年ぶりに懐かしいドイツ人との再会を喜び合った。(写真左)

若き頃、日本棋院で修行を積んだ実力6段氏から、半世紀前にヨーロッパチャンピオンになった古豪も、毎回のことながら顔を見せた。大半は低段ながらも囲碁を楽しむ青い目の紳士ばかりである。

今回の旅でもっとも再会を楽しみにしていた人がいた。ひげを生やして吊りズボンをはいていた大学教授風で、独特の雰囲気を持っていたEさんである。(写真右:2002年7月)

物静かな人だが、一手打つたびに小型ゲーム機に打ち込んで棋譜を採るほど囲碁にのめりこみ、マイカーには日本語の「碁」という看板をつけて走り回っていた。私がもっとも多く碁を打ったドイツ人で、当然のことながら今回もお手合わせできるものと思っていた。

ところが、数年前に他界したと知らされ、声もでなかった。私より年配ではあるが、それほど高齢でもないのに予想もしない事実を知らされて、7年の歳月を感じた。私が後年ひげを生やしたのも、意識したわけではないが、Eさんの影響が全くなかったわけではない。

山小屋囲碁三昧
私たちは日中は野山を歩きながら、ホテルや山小屋で碁を打った。(写真左)
とくにあちこちの景観のよい山小屋対局では、隣国から参加したドイツ人の車が私たちの足となり、分乗して遠くまで行けた。そして最後に、日独対抗戦も企画された。総じて、7年前と比べてドイツ人は強くなっていた。彼らはじっくり考えるが序盤は甘い。

しかし中盤の勝負どころでは力を発揮する。曖昧な手を打つと、きちんと弱点を攻めてくる。また自分の石が弱いと、攻撃よりは先ず防御する。どうなるかわからないが、行け行けどんどんといういう打ち方はしない。実に理詰めで堅実である。

甘い日本の段位
日本の段位とヨーロッパの段位の格差が言われて久しい。私は日本では5段で打っているが、ヨーロッパでは3段で登録した。(写真:日独対抗戦)

ところが、もう3段では勝てなくなってきた。チロルの後、オランダで開かれたヨーロッパ囲碁コングレスにも転戦した。ここでも3段の壁を感じた。ヨーロッパ全体の棋力が上がってるのに対し、こちらは右肩下がり、とくに認知症気味なのか、ここ数年集中力が続かなくなった。来年からは一つ落として参加しようと思った。


チロル囲碁の旅を発案し、長い間囲碁愛好者の世話をしていた中山典久プロは、もくもくと参加者に指導碁を打っていた。十年前も今日も変わらぬ作衣姿だった。(写真左)

まだ引退はしていないが、今回は付添い人同伴で、体調には相当気を使っているようだった。寄る年波をはねのけ、いつまでも文筆と盤上で活躍してもらいたいものである。

1週間、あっという間の懐かしのチロルの旅だった。(完)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。