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オランダ田舎見聞記(下)
【北の国からのエッセイ】 2009年09月02日

囲碁のイベントはヨーロッパ碁コングレスである。ヨーロッパのチャンピオンを決める大会であるが、自分の棋力に応じて参加することもでき、今年もヨーロッパ各地やアジアなどから700人ほどが参加した。

メイントーナメントは2週間で1日一局、計10局打つ。日本のように一日のうちに4~5局打って優勝者を決めるという詰め込み式ではなく、ゆったりとした大会運営である。大会期間中には休日もある。この休日を利用して、あちこち散策に観光にでかけるのが、これまた楽しい。

夏休みの長いヨーロッパの人にとっては、ちょうど手ごろな行楽となるが、日本人にとっては現役社会人の参加はちょっと難しく、大半がシニアとなる。

レーワルデン
オランダの公用語はオランダ語であるが、私たちが滞在しているグロニンゲンの隣のフリースランド州では、少数民族の金髪碧眼のフリジア人が住んでおり、オランダでは唯一フリジア語もあわせて公用語になっていると言う。そのような地域ならローカル色豊かな所だろうと、列車で50分、フリースランド州の州都レーワルデンを訪れた。

まず、歴史的建造物でもあるバロック調の市庁舎を訪れた。受付にいた、人の好きそうな髪の毛が一本もないおじさんが、東洋からの突然の観光客をみて珍しかったのだろうか、求めたわけでもないのに案内しようと言って先頭にたった。

18世紀に建てられた市庁舎には地下室があり、牢屋として使われていたという。当時の市庁舎は単なる行政庁でなく、警察力を持った怖い役所だったのだろう。(写真左)

広い市長室も案内してくれた。こんなところに入っていいのだろうかと思った。主はいない。夏の長期休暇で不在だと言う。主がいなければ秘書も休んでいてがらんとしている。棚の上に並べられていたワインが気になった。

橋が開く運河
干拓でできたレーワルデンの町は海面より低く、街全体に運河が張りめぐされていた。船に乗って運河めぐりを楽しんだ。運河にはいくつも橋が架かっており、水面が高く、橋が低いところでは身をかがめなければならない。

大きい船の場合は無理だなと思ってたら、なんと、橋自体が持ち上がって船を通す。(写真右)
この間、橋のある道路は赤信号になっている。運河が市民権を持っている町である。川岸には個人が所有している船が数珠繋ぎで係留されている。

休日ともなれば、市民は船に乗って運河めぐりを楽しむのだろうか。その度に橋が上がることになる。川は必ずしもきれいだとはいえない。けど、若い娘が川に入ってはしゃいでいた。運河が市民に溶け込んでいる町だと実感した。

町の中心部に高さ40m、ひときわ高い教会の塔、オルデンホーフェ斜塔があった。イタリアのピサの斜塔ほどではないが、少し傾いている。16世紀に埋立地に建てられたが、地盤沈下で傾いたため工事は中止され、未完のまま遺されたと言う。

斜塔を階段で上った。200段くらいはあっただろうか。最上部に着くと、さわやかな風が苦しかった上りの呼吸を整えてくれる。人口9万人のデーワルデンの町が360度一望できた。


マタ・ハリ
レーワルデン出身のもっとも有名な人はと言うと、「マタ・ハリ」だと知らされた。マタ・ハリは第二次世界大戦でドイツとフランスの二重スパイとして暗躍し、フランスに捕まって処刑された女スパイである。(写真右)

マタ・ハリは、踊り子マルガレータの芸名である。その美貌に群がった将校と政治家は数知れず、フランス軍が捕まえたのも戦線の不利を彼女のせいにして国民の不満をそらそうとしたともいわれる。

マタ・ハリが本当にスパイだったのだろうか、真相は謎とされる中で、彼女は銃殺の際、目隠しを拒否し、遺体の引き取り手がなかったそうだ。当時世界でもっとも有名になったマタ・ハリは、いつの間にか女スパイの代名詞になった。

私がもっとも驚いたのは、大戦の裏の舞台で暗躍し、数奇な人生を送ったマタ・ハリが、ここでは敬意を持って扱われれていたことである。東洋のマタ・ハリもいたが、どこに行ったのだろうか。

マタ・ハリの像は運河の橋の上に立っており、彼女が少女時代過ごした家の前には、張り紙が掲げられてガイドが観光客を案内していた。そして地元の博物館にはマタ・ハリのコーナーが広く設けられ、彼女の遺品などが大切に保存されていたことにびっくりした。

地元のフリース博物館には、先住民族がどのように生活し、保護されていたのか、アイヌ民族を念頭に置きながら入ってみた。(写真左)

ところがそのようなコーナーは見当たらず、むしろナチスによって強制収容所に連行されていったこの地のユダヤ人の苦難の証拠と、マタ・ハリの遺品が、後世に残す「大戦の証」として大切に保存展示されていた。

オランダという国は面白い国だと思った。オランダはゲイ同士の婚姻を認めている国でもあり、飾り窓で知られる売春も認めている国でもある。滞在中にアムステルダムに泊りがけで観光に行ったとき、年に一度のお祭り「アムステルダム・ゲイ・フェステバル」に遭遇した。

大勢のゲイとその理解者が運河を船で行進し、それを見ようと見物人が橋の欄干に陣取って身動きができない賑わいになっていた。(写真右)

その運河沿いには、ナチスの迫害を逃れて秘かに隠れていたアンネ・フランクの家があり、観光客の長い列ができていたが、この日ばかりはゲイ・パーテイの喧騒に飲み込まれていた。オランダ人にとってゲイは変質者でも何でもなかった。

オランダの国民性
オランダ人のものの考え方の原点は何なのだろう。帰国していろいろ調べてみた。するとこういうコメントにぶつかった。

「オランダ人は寛容である。俺の考えたはこうだ、けど、お前の考え方も認める」なるほど、だからゲイも認め、弱い立場であったマタ・ハリを地元の恥とせず、堂々と歴史の証人として保存しているのだろうか。少数民族の誇りの象徴である言語も公用語として認めているのだろうか。日本ではアイヌ語を北海道で日本語と同じように公用語として認めるだろうか、と思った。

この記事を書きながら世界陸上を見ていると、たまたまアナウンサーが「ここで訂正させていただきます。さきほど日本は単一民族だとお伝えしましたが、不穏当な発言でした。お詫びして訂正します」。中曽根さんから麻生さん、そしてアナウンサーまでこのような認識ではアイヌ語が公用語になるのはまず無理だろうと思った。(中曽根・麻生両氏はその後アイヌ民族に謝罪している)

オランダは自国を「多民族国家」として認め、他のヨーロッパ諸国に先駆けてマイノリティの政治参加を認めた。またオランダはもともとユダヤ人などの迫害者を受け入れてきた歴史があると言う。メイフラワー号でアメリカに渡ったイギリスの清教徒も、途中オランダで生活したそうだ。オランダの面積は日本の九州とほぼ同じであり、その多くが水面下で、大堤防に支えられている。ここに1600万人が住んでいる折、日本よりはるかに小さい「小国」である。そのオランダには国際司法裁判所があり、EUの主要なポストにオランダ人がついている。世界に対する発言力は大きい。

弱き立場の存在を認める寛容さをもって、自らもしぶとく生き抜いている「小さな国の強国」の生き様は、ヨーロッパ大陸の中で揉まれた過去の歴史の産物なのかもしれない。多数決という衆愚政治で、少数派の意見を抹殺しようとするどこかの国とは大分違う。

百聞は一見にしかず。

オランダに2週間滞在して、オランダ人の精神構造の一端を垣間見た。(写真左:マタ・ハリの像) (完)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。