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大通公園100年(1) ~札幌イベントの舞台~
【北の国からのエッセイ】 2009年09月11日

大通公園といえば札幌の都心にあり、札幌の顔の一つである。さっぽろ雪まつり、ライラックまつり、よさこいソーラン祭り、ホワイトイルミネーションなど、札幌のイベントのほとんどが大通公園を舞台に繰り広げられている。その一方で、暖かくなれば市民が公園の芝生で弁当を広げ、やわらかい日射しを楽しむ憩いの場でもある。

その大通公園が公園として整備されて、ちょうど今年で100年を迎えた。

札幌誕生と同時にできた大通
100年前といえば、明治42年のことである。「明治は遠くなりにけり」と言われて久しいが、まもなく明治生まれは全員100歳を越す。

実は大通公園は、それより以前の明治の初めからあった。蝦夷を北海道と改めた明治新政府は、明治2年、北海道開拓に乗り出し、当時葦や木々の生い茂る豊平川の扇状地・札幌に、本府建設に乗り出した。そのときの構想として、早くも大通公園のルーツが登場する。

左の地図をごらんいただきたい。明治4年の札幌の都市計画図で、現存する札幌最古の公式の地図である。

京都に倣って碁盤の目のように計画され、中央の広い横一線が大通である。縦の濃い直線が二宮尊徳の弟子の大友亀太郎が作った大友堀で、現在の創成川である。その創成川と大通の交差するところに今のテレビ塔が立っている。

ちなみに蛇のように蛇行している濃い線は胆振川で、早い時点で暗渠(あんきょ)になってその姿は今はない。

中央の大通りの巾は58間=105mあり、この巾は今日まで全く変わっていないことに驚く。人口僅かに916人(明治5年)程度の札幌に、とてつもない空間が作られたのである。

しんとして 幅廣き街の 秋の夜の 玉蜀黍(とうもろこし)の 焼くるにほひよ

明治の後半、札幌を訪れた石川啄木がこのように詠んだ、巾広き街は何故できたのだろうか。

防火帯
名古屋駅前の、巾100m道路は有名だ。空襲で焼け野原になったのを契機に、戦後大胆な都市計画に乗り出して作られた、幅広き道路だ。

札幌という町は、大通公園から北に向かって北1条・北2条・・・となり、逆に南に向かって南1条・2条・・・となっている。実にわかりやすい。

北側(写真右側)にはお役所の北海道開拓使(現道庁)・札幌農学校(現北海道大学)があり、官舎があった。いわば「官地」である。
それに対し、南側(写真左側)には歓楽街・薄野があり、商業地・狸小路があった。いわば「民地」である。

時の権力者は、民地でよく発生する火災が、大切な官地に延焼するのを恐れた。そのために作られたのが広い空間だった。つまり大通公園は「防火帯」だったのだ。

皮肉なことに、権力の象徴であった開拓使庁舎(現道庁赤レンガ庁舎)は、延焼でなく、自らの過失で明治時代に2度も焼けている。

右の写真は明治6年に完成した最初の北海道開拓使庁舎である。この本庁舎は、アメリカ独立戦争の際、軍司令部が設けられた、アナポリス市のメリーグランド州会議事堂を模して作られたといわれる。明治初期の先駆的な洋風初期の建物で、当時としては壮麗で画期的な建物だったようだ。

明治12年、失火により全焼したが、建物跡地は「北海道の建設この地から始まった」として、国の史跡に指定されている。

写真のかわいらしい建物は、当時の資料を基に作られた縮尺模型で、北海道開拓記念館に展示されている。

現存の赤レンガ庁舎(写真左:旧北海道庁、重要文化財)は明治21年に遺跡のすぐ隣に建築され、再度火災に遭って44年に再建されたものである。

雪が降って晴れ上がった翌朝、赤レンガ庁舎はメルヘンの世界のような光景となる。屋根や木々に積もった雪の花は昼までに溶けるため、早朝駆けつけなければこうした写真は撮れない。

たまたま数年前赤レンガ庁舎の隣の病院に入院した時、病棟からみる光景のすばらしさに病室を抜け出し、氷点下10度の中で撮影した。

逍遥の地
大通りができた当初は、一部は屯田兵の練兵場になったり、ゴミ捨て場になったり幾多の変遷を経る。また篤志家によって一部で花壇の造成も行われる。

こうした経緯を経て明治42年、大通りを逍遥地にしようということになり、当時の東京府の公園技師長であった公園作りの名工、長岡安平が招かれる。これが大通の公園づくりの最初で、今年がちょうど100年ということになる。

現在大木となっているケヤキやイタヤカエデなどは、このときに植栽されたものである。大通公園は、戦時中一時サツマイモ畑になったり、戦後進駐してきたGHQのテニスコートなどになったこともあったが、公園として整備され今日に至る。

本州から見える観光客に、「テレビでいつも見ている雪まつりの会場」に行きたいと言われ、はっとする。毎日のように通り過ぎている大通公園が立派な観光地になっているんだ。

当初の目的はどうであれ、札幌の中心地にこれだけの広い空間を残した、先人の街づくりの慧眼に驚くばかりである。(写真右上:晩秋の大通公園、写真に映っている木はすべてケヤキ)
(つづく)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。