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大通公園100年(4) ~観光都市つくり~
【北の国からのエッセイ】 2009年09月18日

札幌は自然発生的にできた町でなく、作られた町である。明治2年、肥前藩士島義勇判官が明治天皇からおし戴いた国土の神・開拓農業の神・薬お酒の神の「開拓3神」を、後生大事に携えて札幌に入った。そして、本府を作るべく最初に槌音をたてたところは、幕末大友亀太郎が作った創成川沿いで、ここから京都のような碁盤の目の都市づくりが始まった。

日本初の洋風庭園
創成川と大通公園が交差するテレビ塔周辺は、札幌発祥の地でもある。

その札幌発祥の地のそば(現北1条西1丁目)に洋館・豊平館(ほうへいかん)があった。豊平館は明治14年、天皇が初めて蝦夷地に行幸の際、宿泊地として建てられたもので、鹿鳴館なき今日、明治の面影残す洋館として、明治の建物としては、いち早く重要文化財に指定されている。

ところが、豊平館はテレビ塔建設のため、昭和32年2km離れた中島公園に移設された。(写真右)代わって豊平館の敷地には市民会館とNHKが建てられている。半世紀前のことで、観光客はもちろん多くの市民も知らない。

実は豊平館の前には、日本で最初の洋風庭園があった。芝生本位の前庭に、雲形定規をもって引かれた曲線の園路の庭園で、従来の日本式造園の感覚は痕跡だに認められない(千葉大造園学小寺駿吉)という。この専門家によると、明治元年に建てられた東京の築地ホテルは日本の建築史上記念すべき「西洋式作品」であるが、それにも拘らず付随する庭園は在来の築山林泉風のものだった。

また、明治36年新しい都市計画の下で作られた日比谷公園ですら、園内の一部に築山林泉風の庭を雑居せしめざるを得なかった。こういうご時勢の明治14年に、豊平館に純然たる西洋式庭園があったというのは驚異に値する。(昭和28年千葉大園芸学部学術報告)

私はこの文献を読んで、見たこともない洋風庭園の写真を求めて資料館・開拓記念館などを回ったが、あるのは当時の建物ばかりだった。庭に焦点をあてたものはなかった。

右の写真は移転前の豊平館で、庭の一部が映っている。

70~80代の古老といっても、今のご時勢ではぴんぴんしているが、小学生の頃、図画の時間に豊平館によく写生に行き、冬はスキーやソリでよく遊んだという。

都心の再開発
たまたま現在、市民会館が老朽化して壊され、このあたり一帯(北1西1)の将来の再開発に備えて、仮の会館が立っている。私は、ここに再び豊平館を戻して、日本で最初の洋式庭園を復元すればいいのではと思う。NHKには申し訳ないが、都会のど真ん中にいる必然性はない。

ここに豊平館が戻ってくると、旧道庁赤レンガ庁舎・時計台の三大名所(いずれも重要文化財)のトライアングルが半径500m以内にでき、明治ロードとして強烈な観光インパクトになること間違いない。いまでも赤レンガ庁舎や時計台には朝から夕まで観光客が絶えず、本州の歴史とは一味違う異国情緒に浸って、しきりにシャッターを押している。

本府建設が始まった明治2年、わずか11人だった札幌の人口は、140年間で190万人、東京・横浜・大阪・名古屋に続く日本で5番目の大都市に膨れ上がった。これといった産業がないのに、北海道の人口の3分の1が札幌に集中している。炭鉱の衰退、農業や漁業をやめて故郷を離れた人たちの受け皿的なダムとなって、膨れ上がっただけである。

この結果、生活保護世帯は多く、国民健康保険財政は火の車だ。支店経済を脱却してこれからの札幌を支えるのは、札幌バレー(先端技術)と観光だと言われて久しい。たまたま、長年の懸案だった都心のど真ん中の「西1北1再開発準備委員会」を今月発足させることを、札幌市長は先日発表した。札幌市・NHK・民間の地権者が同じテーブルにつく。おそらく、札幌都心の最後の大掛かりな外科手術となるであろう。

しかし、すでに市民会館に代わる1000人以上を収容できるイベント施設や、NHKをすっぽり収容する、どでかい高層ビルが計画されているようだ。ここはコペルニクス的発想で、観光札幌をめざす再開発を期待したいものだが、庭よりハコモノに固執するところが役人の発想か。右の写真は明治15年作成の豊平館と、洋風庭園の製図である。こんな観光名所が都心にあったら楽しい、と夢に思う。

札幌の歴史を見届ける1本の木
北海道では開拓とか開発というのは、原生林の木を切ることだった。とりわけ本府を建設する大通公園周辺は徹底的に切られた。

「初め此地を開くや、大木を切るを目的とし、一木を倒せば賞あり」(明治15年)
「樹木を濫伐暴鋤、尺木を残さず、今や家屋こつ然として平沙に連なる」(明治17年)

記録によると大木を切ったら賞金を出し、30cmしかない木(尺木)まで残さず切ったというから、そのすさまじさがよくわかる。逆に言うと、現在大通公園にある木はみな植樹されたものである。

ところが、市民会館の大通公園沿いに、ハルニレの大木が1本だけある。(写真左:今月、後ろはNHK)
高さ19m、幹の周りは大人2人がかりでも手で結ぶことができない。これほどの太い木は、エルムの園(エルムはハルニレの英語)といわれる北大構内、原生林の一部をそのまま取り込んだ北大植物園にしか、周辺では見られない。

なぜこんなところにこれほどの大木があるのだろう。 暇にまかせて北大図書館などに行って調べてみた。明治の初めに街路樹が作られた北1条通りには、アメリカから持ち込んだニセアカシアなどが植えられている。

この道は いつかきた道 ああそうだよ アカシアの花が咲いてる

北原白秋は、街路樹のニセアカシアを見てこの詩を作ったといわれる。記録によると、街路樹は外来種のニセアカシアだけでなく、もともと生育していたハルニレも取り込んで街路樹に利用したという。

早速、北1条通りの街路樹を調べてみた。見るからに太いハルニレの木が数本あった。(写真右:9年3月)

ところが、市民会館の木のほうがもっと太く、大きいではないか。ということは市民会館前のハルニレは、明治以前からあったとうことだ。

実はこの大木を調べていくうちに、豊平館に洋風庭園があったことを私は知った。



そして、洋風庭園は大通公園まで食い込んで作られていた。(写真左:1910年代の大通公園付近)

つまりこのハルニレの大木は、原生林を取り込んだ洋風庭園の中にあった生き残りだったのだ。樹齢は推定300年、都心に残された唯一の明治以前の木である。よくぞ今日まで生き延びたなあ、と毎日見上げていた。このハルニレが今年、札幌市の景観資産に指定された。これまで指定されたものは建築物が大半で、樹木が指定されるのは初めてである。都市景観審議会の委員に樹木に詳しい人がいたようだ。

ハルニレが立っている市民会館からNHKの前は、観光バスの溜り場になっている。排気ガスを毎日のようにすっているせいか、必ずしも元気がいいとは言えない。

5月、他のハルニレが葉を出して活発な活動を始めた頃、この大木はゆっくり葉を出し始める。まるでおじいさんが、よっこらしょと腰をあげるほど動きは鈍い。(写真右:9年5月)

寿命はそう長くはないかもしれないが、札幌ができる前から生きていた木、いわば生き証木である。公園として整備されて100年、大通公園とその周辺を歩くと、いろいろなドラマが潜んでいる。  (完)


望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。