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女1人 未開の地を行く(2)
【北の国からのエッセイ】 2009年11月17日

旅行家 イザベラ・バード
イザベラ・バードは開国まもない明治11年、どうして1人で北海道の未開の地に足を踏み入れたのだろうか。

記録によると、イギリスのヨークシャーで牧師の長女として生まれたイザベラは、幼いときから病弱で青春の大半を病床で過ごしたという。医師に転地療法を勧められ、日本に来る前にすでにアメリカ・カナダからオーストラリア・ニュージランドも訪れている。とくにアメリカでは馬でロッキー越えまでしている。

転地療法というと、一般的に近くの風光明媚な温泉でゆっくりと思うのが普通であるが、イザベラの場合は海外旅行だったというのが面白い。イザベラ・バードは過去の因習にとらわれない自由闊達な女性旅行家だったと思われる。

イギリスの海外熱
当時のイギリスのバックグラウンドはどういうものだったのだろうか。

イギリスは当時欧米列強の国として世界にはばたき、中国にアヘン戦争を仕掛けて香港を手に入れるなど、海外に目を向けていた時期であった。海外紀行の本がよく売れたといい、イザベラの書いた紀行本も結構売れて、当時、女性としては珍しい旅行家として名も知られていたようだ。

とくに日本訪問後に書いた「日本奥地紀行」は増刷するほどの売れ行きだったという。日本奥地紀行のイザベラ・バードのイラストは、自らが描いたものである。(写真左)

イザベラは日本に来る前、知り合ったダーウイン(自然科学者・「種の起源」著者)に次の外国旅行先にアンデス行きを相談するが、治安が悪いアンデスを断念して、より安全で新たな国づくりを目指している日本行きを決断したという。開国間もない明治11年頃、イギリスで長い間鎖国政策をとって来た日本が、どれだけ一般市民に知られていたのだろうか。

噴火湾のルーツ
1796年、イギリス軍艦プロビデンス号が突然蝦夷地の噴火湾に姿を見せた。幕末、黒船が来たと大騒ぎした57年も前のことである。

噴火湾に入ったプロビデンス号の艦長ブロートンは、湾を取り囲む恵山・駒ケ岳・有珠山が噴煙を上げているのをみて「おお、ここは Volcano(火山・噴火) bey」と本国に報告してる。この湾は内浦湾という正式な名称があるが、今では噴火湾のほうが深く浸透している。

噴火湾の名付け親となったブロートンは、初めて津軽海峡を渡り、蝦夷地が島であることをヨーロッパ人として初めて確認した。間宮林蔵が、樺太が島であることを確認して、間宮海峡と名付けられたことを連想させて興味深い。( 写真右:有珠山のある洞爺湖町から噴火湾が一望できるところに立てられたプロビデンス号出現の案内板から 8年4月 )イギリス艦の前後にロシア船も蝦夷地に姿を見せ、驚いた江戸幕府はそれ以降、間宮林蔵・近藤重蔵などを派遣して蝦夷地を探検させている。

また、英国軍艦プロビデンス号が、噴火湾奥深くの室蘭港に入港したことを受けて、松前藩は急遽室蘭に藩医を特使として派遣しているが、このとき秘かに松前藩図を手渡しているという。ただ、当時の地図では蝦夷地はまだジャガイモで、不正確な地図しかない。

北海道の正確な地図の完成は、幕末6回にわたって蝦夷地を探検した松浦武四郎によって作られた。航空写真ではないかと錯覚させるほどの精密な地図である。(写真左:東西蝦夷山川地理取調図  1859(安政5)松浦武四郎作 北海道立文書館所蔵)

横浜と共に今年開港150年を迎えた函館(当時は箱館)には、イギリスはいち早く領事館を置いている。また、生麦事件の後始末としておきた薩英戦争の後、薩長方に深く食い込む一方、幕府の海軍教育を引き受けるなど、アヘン戦争直後の幕末の日本への浸透ぶりは、欧米諸国の中で最も激しく、明治に入って武四郎の地図がイギリスに渡ってもおかしくない。

日本の奥地
ここに一枚の日本地図がある。(写真右)

これは、日本に灯台を置くとしたらどこがよいかを記した地図とされる。(スコットランド国立図書館所蔵)1876年(明治8年)作成で、当時イギリスではすでにこうした日本地図を作成されていた。

この右上の北海道をみると、道南地方だけ記載されており、他は切れている。一枚の紙では書ききれないためカットしたのか、それとも北海道は開港した函館中心で十分で、他の未開の地は必要なかったのだろうか。

イザベラ・バードは日本訪問にあたって、この地図をみていた。そして、北海道のアイヌ部落のある日高の平取が、写真のちょうど切れる部分に位置していることから、「日本奥地紀行」と名付けたのではないかと研究者はいう。

ではなぜイザベラは、すでにクラーク博士などのお雇い外国人が入っている首府札幌に見向きもせず、未知のアイヌ部落を目指したのだろうか。(つづく)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。