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女1人 未開の地を行く(4)
【北の国からのエッセイ】 2009年11月27日

イザベラ・バードは目的のアイヌ部落・平取に着くまでに、すでにアイヌと接している。噴火湾を船で横断して上陸した室蘭から幌別・白老の胆振沿岸にはアイヌが住んでおり、アイヌの人の助けを借りながら川を渡っている。イザベラはこれらのアイヌを「海岸アイヌ」といい、平取のアイヌを「山アイヌ」と呼んでいる。山アイヌは一夫多妻制であるのに対し、海岸アイヌは一夫一婦制であること、言語は発音が少し違うのを除けば、ほとんど変わらないと書いている。

イザベラの眼
初めて平取に入ったときの様子を、イザベラは次のように書いている。

私たちが部落の中を通っていくと黄色い犬は吠え、女たちは恥ずかしそうに微笑んだ。男たちは上品な挨拶をした。私たちは酋長の家の前で立ち止まった。もちろん私たちはこの家の思いがけない客だった。しかし家の者は歓待の気持ちを表して、馬の荷物を下ろす手伝いをした。

(写真右:観光資源として復元されたアイヌ部落,平取・二風谷地区 2006年6月)

イザベラは酋長の家で滞在し、アイヌの生活をつぶさに観察している。酋長は絶対であること、老人を非常に尊敬すること、子供たちをよく抱き、日本人よりもずっと子供に対する愛情をはっきり表面に出すこと・・・またイザベラはそれなりのもてなしを受けている。アイヌと一緒に暮らしたイザベラ自身の言葉を借りると

慣習によって彼らは私をもてなしたと同様に、あらゆる外来者に対してねんごろにもてなし、できるだけのことをしてやり、最上席に座らせ、贈り物をし、そして別れるときは黍(きび)を煮て作った菓子を持たせる。

イザベラはこのように書いており、さらに次のようなアイヌとのやり取りを紹介している。

彼らは宿泊料を少しも受け取らなかったし、与えたものに対しても少しもお返しを求めなかった。なんとかして彼らの手工品を買って彼らに援助したいと思った。しかしこれも難しいことだった。例えば煙草入れと煙管入れ、柄や鞘に彫刻を施した小刀の3つに対して2ドル半出したら、彼らは売りたくないと言った。ところが夕方になると、それらは1ドル10セントの値打ちしかないので、その値段なら売ってもいいという。彼らはそれ以上のお金を受け取ろうとしなかった。儲けるのは「彼らのならわし」ではないという。

アイヌの生活
アイヌは朝、みんなで食事をとる。男たちは何も仕事をすることはない。 彼らは囲炉裏端に腰を下ろし、ときどき煙草を吸い、食べたり眠ったりすることで満足している。倉に食べ物のストックがなくなると急激に活動を開始し、狩猟や魚とりに出かける、女たちは縫い物や織物をやり、暇なときは少しもない。

イザベラはアイヌの生活をこのように綴っている。

また、アイヌの衣服は未開人としては特別に立派であること。家屋も玄関や窓があり、家の中央に囲炉裏があって、一段と高い所に寝所があり、スコットランドの高地人とよく似ていること。さらに祝祭を除けば、彼らの娯楽はほとんどないこと、 踊りはゆっくりとしていて哀しげであり、歌は聖歌か吟誦風のものである。

と書いている。(写真左下:アイヌの住まい 北海道開拓記念館展示 2009年2月)

また、イザベラはアイヌ人について面白い観察をしている。

日本人の黄色い肌、馬のように固い髪、弱々しい瞼、細長い目、尻下がりの眉毛、平べったい鼻、くぼんだ胸、蒙古系の頬が出た顔形、ちっぽけな体格、男たちのよろよろした歩きぶり、女たちのよちよちした歩きぶりなど、一般に日本人の姿を見て感じるのは堕落しているという印象である。


このような日本人を見慣れた後で、アイヌ人を見ると非常に奇異な印象を受ける。私が今までみたアイヌ人の中で2~3人を除いて、すべてが未開人の中で最も獰猛そうに見える。その体格は、いかなる残忍のことでもやりかねないほどの力強さに満ちている。

ところが彼らと話を交わしてみると、その顔つきは明るい微笑に輝き、女のように優しいほほえみとなる。その顔つきを決して忘れることはできない。眼は大きくかなり深く落ち込んでいて非常に美しい。眼は澄んで豊かな茶色をしており、表情はとくに柔和である。容貌も表情も全体としてアジア的というよりはむしろヨーロッパ的である。
(写真右上:イザベラ自身が描いたスケッチ)

アイヌの宗教観と酒
イザベラは牧師の娘のせいだろうか、アイヌの宗教観念はいかなるものか、アイヌ自身から聞きだそうと非常な努力を払っている。そして多くの紙面を割いている。イザベラがアイヌに話を聞くと、彼らは話す前に自分たちの風俗習慣を話したということを、日本政府に告げないでくれと何度も頼むという。被征服民族の立場となった彼らにとって、余計なトラブルを避けたいという一心なのだろう。

イザベラの考察によると
アイヌの宗教的観念ほど漠然としてまとまりなものはないだろう。神社もないし僧侶もなければ礼拝することもない。彼らの宗教的儀式は大昔から伝統的に最も素朴で、最も原始的な形態の自然崇拝である。漠然と樹木や川や岩や山を神聖なものと考えている。彼らの話を総計するといくつかの漠然とした恐怖や希望があり、自分たちの外の大自然の中に、自分たちより強力なものがいるのではないか、という気持ちがある。

お酒を捧げればそのような力の良い影響を受けることができるし、悪い影響を避けることができる。 「神のために酒を飲むこと」が、主要な「崇拝」行為である。かくして酩酊と宗教は不可分のものであり、アイヌ人が酒を飲めば飲むほど、神に対して信心が篤いことになり、神はそれだけ喜ぶことになる。
写真左:トゥキ(酒杯)とイクパイス(捧酒箸)

酒以外は何も神を喜ばせる価値がないように見える。彼らは儲けを全部はたいて酒を求め、それをものすごく飲む。泥酔こそは、これら哀れなる未開人の望む最高の幸福であり「神々のために飲む」と信じ込んでいるために、泥酔状態は彼らにとって神聖なものとなる。

男も女もこの悪徳に耽っている。何事も知らず、何事も望まず、わずかに恐れるだけである。着ることと食べることの必要が生活の原動力となる唯一の原理であり、酒が豊富であることが唯一の善である。


イザベラはこのように分析したうえ
全体的に見るならば、アイヌ人は純潔であり、他人に対して親切であり、正直で崇敬の念が厚く、老人に対して思いやりがある。最大の悪徳は飲酒であるが、私たちの場合と違って彼らの宗教と相反するものでなく、むしろその一部をなすものである。この事情から考えると、飲酒の悪癖を根絶することはきわめて困難であろう。

アイヌと和人の最大の戦いであったシャクシャインの戦い(1669年)では、松前藩が和睦を申し入れ、日高の海岸で双方の代表が出席して和睦の儀式が行われた。

酒が出され、アイヌが泥酔した頃合を見て、松前藩はアイヌに襲い掛かり、列席したアイヌの酋長を皆殺しにした。だまし討ちで指導者を失ったシャクシャインの戦い以降、アイヌの勢力は急速に衰え、和人に隷属することになる。

イザベラが書いたアイヌの宗教観を読むと、どうしてもシャクシャインの戦いが思い出される。(写真左:シャクシャイン像 新ひだか町静内 6.5)シャクシャイン像の前では、毎年法要祭が行われている。


イザベラのアイヌ観
私は今では、アイヌ人の未開な生活を赤裸々に眺めることができるようになった。これはみじめな動物的生活をあまり抜け出していない生活である。彼らの生活は臆病で単調で、善の観念をもたぬ生活である。彼らの生活は暗く退屈で、この世に希望もなければ父なる神も知らぬ生活である。

しかし、世界の他の多くの原住民たちの生活よりは、相当に高度で優れたものである。アイヌ人が誠実であるという点を考えれば、西洋の大都会で堕落した大衆よりはアイヌのほうがずっと高度で、ずっと立派な生活を送っている。


全く先入観を持たずにアイヌと接触したイザベラの洞察力に驚くばかりである。わずか数日間の滞在で、恐れ入りましたというしかない。とりわけアイヌが温厚な民族であることについて、江戸末期に蝦夷地を6回も探検してアイヌに深い理解を示した松浦武四郎の見方とよく似ている。

右の写真はイザベラ・バード晩年の写真である。
実にふくよかな恰幅のいい婦人である。まさか、この体で日本旅行をしたとは思えない。なぜなら、イザベラを見てまず馬が逃げちゃうだろう。

当時の馬は小柄で、背骨が背中にゴリゴリ出るほどやせていた。仄聞するとイザベラは旅を終えた後、急激にウエイトを増したという。欧米人の視点から見たイザベラの旅行記は、明治時代の日本、とくに日本でも余り知られてなかった蝦夷地の貴重な記録として、高い評価を受けているという。

イザベラ・バードはやはり女傑といえそうだ。イザベラのまっさらな眼でみた明治期の日本旅行記は、先入観念が入ってないだけに実に興味深く、もう少し多角的に調べてみたいという気持ちになった。(完)



望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。