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氷点下の初詣
【北の国からのエッセイ】 2010年01月05日
明けまして おめでとうございます 
激動が予想される平成22年の幕開けです。

元旦の朝恒例となっている初詣に、家内と出かけました。午前10時の気温は氷点下0.9度、積雪が23cm、札幌としては穏やかな天気です。ただ、歩道の雪が凍結しているため、足元を確かめながら進みます。いつもは亭主と一緒に買い物にでかけるのを嫌がる家内ですが、正月だけは逆です。

初詣の途中にある菓子店「源吉兆庵」の福袋が、1人1袋の限定販売の為、大切な要員として同行を促されます。
除夜の鐘から朝までパソコンしこしこで、ほぼ徹夜状態でしたが、年の初めですので、お付き合いです。

福袋を求める人で、ざっと150人ほどの列が入り口にできていました。

私にとってお目当てである、お茶と和菓子の無料サービスをいただき、北海道神宮に向かいます。

道路には長い車の列ができています。境内入り口に着きますと、鳥居前で写真を撮るよう強要されます。去年も同じところで撮ったのにとブツブツ言いながら、ポーズをとる家内にカメラを向けます。

 

境内は初詣客で一杯です。ここ数年で最高の人出です。北海道神宮への三が日の人出予想は、毎年70万人前後と言われていますが、今年はもっといくのではないでしょうか。不景気の時ほど初詣客は多いといいますが、それを裏付けているようです。

 

参拝客の後ろにくっついて前に進みますが、境内の雪は凍結しています。剣道部と書かれたコートを着込んだ高校生のアルバイトが、さかんに砂をまいていました。

本殿前には、参拝客を飲み込むような、白布で覆われた超特大のお賽銭処が待ち構えていました。前に押し出されると、気持ちをこめてお祈りするというよりは惰性で手を合わせ、すぐ後ろの客のために場所を譲ります。

 

神宮境内に休憩所「六花亭」があります。(写真上・右)
ここでも無料でお茶とお菓子がいただけます。北海道の代表的な菓子メーカー「六花亭」が、北海道を拓いた判官さまに感謝の意をこめて、参拝客に365日、銘菓「判官さま」を大盤振る舞いです。源吉兆庵と六花亭でお菓子をいただく。実はこれが、毎年我が家恒例の初詣です。

141年前の明治2年、北海道の首府を建設するため、「開拓・開発・お酒の神」三神を明治天皇から直々に押し戴いて当地に入った、肥前藩士 島義勇(しまよしたけ)判官は、円山の麓の小高い丘に上がりました。

「判官」とは公職名で、今風で言えば副知事クラスでしょうか。現地責任者です。
島判官は、原生林で覆われる豊平川の広い扇状地を見渡し、「ここに京都のような碁盤の目のような都市を作るんだ」と目を輝かせました。肥前の下級武士にとって、京の都はあこがれの町だったのでしょうか。
それだけではありません。

他日五州第一都 「いずれこの地を五州第一の都にするんだ」

島判官が、札幌の大原野を見渡して詠んだ漢詩の最後の一節です。その時に札幌に住んでいた和人は、わずか11人でした。

五州とは本州・九州ではありません。オリンピックと同じで五つの輪です。人口2桁の町を世界一の町にする、島判官の夢は膨らみました。
(写真右:円山の隣の大倉山ジャンプ競技場から見る 人口190万人、日本第五位の札幌市)

ところがお金をかけすぎるとして、開拓使のトップ お公家長官が、島判官を更迭するよう、実力次官の黒田清隆に圧力をかけました。

島の力を知っている黒田ですが、かといって上司のお公家長官を無視するわけにはいきません。困った黒田次官は、役所上のクラスでは昇進となる、文部省の局長に異動させるという形で島判官を更迭しました。

燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ 鴻鵠(こうこく)の志を 知らんや
小人物は大人物の遠大な志を理解できないという意味です。(十八史略)

わずか3ヵ月半で、更迭された島義勇は「おまえ(長官)なんかに俺の気持ちがわかるか」と言い残して、札幌を去りました。その島義勇も5年後の明治7年、佐賀の乱で、江藤新平と共に首謀者として斬首 晒し首の刑に処され、河原の露と消えました。

開拓三神を安置した円山麓の現北海道神宮の本殿前には、島義勇が三神を入れた籠を後生大事に担いで札幌に入った、等身大以上の全身像が建てられています。(写真下・左)

 

また、内乱罪という大罪を犯したとはいえ、札幌市の礎を築いた島義勇は、超高層ビルの札幌市役所の一階ロビーにも、円山付近に上って原野を見渡す等身大の立像が置かれています。(写真上・右)
佐賀県から見える観光客が「佐賀8賢人」の1人でも、余り知られてない島義勇が丁重に扱われていることにびっくりします。

北海道神宮は単に漠然と神様にお参りするのでなく、まだ息遣いが聞える、自分たちの3~4代前の先祖(祖父~曽祖父)が、北海道に入ったルーツだという認識があるのでしょうか。正月いくらしばれても、人波が途切れることはありません。

お休み処「六花亭」には今年は例年よりもまして長い行列ができていました。1時間以上は待たなくてはいけません。

道産子でない私にとって、参拝よりは判官まんじゅうをいただき、島義勇の心意気を偲ぶのが楽しみだったのですが、今年はあきらめました。

境内には、延々と人の波が続いていました。(完)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。