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坂本龍馬 幻の蝦夷地移住(下)
【北の国からのエッセイ】 2010年01月08日
坂本龍馬の蝦夷地移住計画は挫折した。しかし坂本家は、北海道ととてもご縁がある。

家系図をごらんいただきたい。坂本龍馬の姉・千鶴(ちづ)に2人の息子がいる。つまり龍馬の甥に当たる。
長男は坂本龍馬に、二男は坂本家の本家のいずれも養子になっている。
2人とも龍馬に代わって北海道の土を踏んでいるのである。


函館戦争で戦う龍馬の養子
長男の太郎は、年齢的には龍馬と7歳しか違わず、養子になる以前から叔父の龍馬に誘われて、海援隊の一人として活躍し、蝦夷地開拓に向けての調査もしている。

蝦夷地に関心があったことから、明治維新直後、蝦夷地を治める箱館裁判所(後の箱館府)の役人となるが、その直後に 榎本武揚率いる旧幕府軍が箱館付近に上陸して、五稜郭に進撃してきたため、いち早く青森に逃れる。
翌年、新政府軍は反撃して勝利をおさめ、太郎は新たにできた開拓使の役人として再び箱館で勤務するが、免職となる。

龍馬の死後、太郎は龍馬の養子となり、坂本 直(なお)を名乗る。坂本直は東京で仕官するがこれも免職となり、故郷の高知に戻ってひっそりと暮らし、57歳で没す。

直の没後、直の妻と子供は、直の実の弟で後に北海道・浦臼に移住した坂本直寛のもとに身を寄せ、駄菓子屋を開いて細々と暮らす。

2人の墓は今も浦臼町にある。(写真左)

北海道に移住した坂本本家
千鶴の長男は龍馬の養子となったが、二男・南海男(なみお)は本家の養子となり、坂本直寛と名乗る。
こちらが坂本家本家筋で、坂本家の当主である。「なおひろ」であるが、北海道では「ちょっかん」と親しみをこめて呼ぶ人が多い。

若き頃自由民権運動で活躍して、投獄経験もある直寛は、その後政治活動から身を引き、北海道でキリスト教に基づく聖村の実現を目指す。

自ら「北光社」を作り、移民団に応募した600余名と共に明治30年、高知の港を出発して、オホーツク側の北見に入植する。
この地域の入植第一号で、直寛は北見のパイオニアだ。
坂本龍馬が夢見ていた北海道移住が、甥の直寛によって実現した。

北光社・坂本直寛・北見開拓 のキーワードは、ご当地検定によく出題されるほど、北海道に名を残した。
直寛はその後、北見は仲間に任せ、北海道中央部の浦臼に住み、牧師として道北各地に足跡を残している。

坂本直寛の孫に、坂本直行がいる。坂本家8代目の当主である。
北海道大学に入って山を歩き続け、卒業後十勝で酪農を営むが、後半画家で身をたて、自然を愛する画家として道内ではよく知られた。

昭和57年、75歳で逝去するが、十勝の中札内村に「坂本直行記念館」が建てられ、北海道の自然を描いた作品が展示されている。

直行といってもピンとこない。
こちらは「ちょっこうさん」と呼ばれて道民に慕われた。

龍馬は移住しなくて良かった?
こうしてみると坂本龍馬と坂本家は、北海道と大変ご縁が深い。

北海道を代表する菓子メーカー「六花亭」の包装紙、5色印刷の花柄は、自然愛好画家・坂本直行のデザインである。
(写真右)
もう半世紀も変わらないデザインとなっており、道産子はこの包装紙が「ちょっこうさん」の作品であることをよく知っている。

今日の龍馬ブームを見越したわけでもないだろうが、函館でNPOを中心に、北海道坂本龍馬記念館を作る運動が盛り上がり、去年秋にはオープンした。
土方歳三ファンの多い函館は、幕末の好敵手“歳三&竜馬”の再現で、歴女で賑わっているという。

NPO法人は、さっぽろ雪まつりの市民雪像つくりに、2003年から毎年のように参加して、坂本龍馬の雪像を作っている。

龍馬が好きな私は、なぜ札幌とは縁がない龍馬の雪像が毎年つくられるのか、不思議に思いながら撮り続けた。
(写真左:2008年2月のさっぽろ雪まつり)

坂本龍馬は夢見た北海道移住はできなかった。けど坂本龍馬は北海道で息づいている。
ふと思う。

私は龍馬は移住しなくて良かったと思う。
なぜなら、仮に移住しても、厳しい環境の下で、開拓に成功したかどうかはわからない。また、仮に成功しても龍馬は一地域での成功者で終わる。

そういう人はいくらでもいる。決して全国区の龍馬にはなりえず、また今日の龍馬はありえない。
やはり龍馬は激動の時に、日本をまたに羽ばたき、そして散ってこそ、坂本龍馬ではないかと思う。 (完)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。