北の国からのエッセイ
春を求めて定山渓
【北の国からのエッセイ】
2010年03月11日
啓蟄の6日、北海道南部の函館山の斜面でフキノトウが顔を出し、バッコヤナギが新芽を吹きだしているという映像がテレビで紹介された。
もともと啓蟄にあわせたネタを求めての取材だろうから、あちこち探して「春」を撮ったのだろう。それにしても待ち遠しい生き物の息吹である。
札幌はまだ積雪50センチ、朝晩は相変わらずの氷点下だ。春にはもうしばらく時間がかかる。それでも何かしら春の兆候が見られないか、週末泊りがけで郊外の定山渓温泉を訪れた。
温泉熱の活用
札幌はこの時期1年を通じて一番汚い時期である。雪解けによって、白かった雪が車ハネの汚水で黒く汚れ、道路はほこりっぽい。
道路わきの低くなった除雪の雪山を眺めながら都心から車で45分、定山渓温泉の入り口に着く。ここからは支笏洞爺国立公園だ。
人口100万以上の大都市で国立公園があるのは札幌市だけだという。雪一色の山々の谷あいを流れる豊平川に沿ってホテルや旅館などの温泉街が形成されている。(写真右)
温泉街に入ると、道路には雪は全くない。なぜだろう。偶然その証に遭遇した。道路にホースを埋めていた。温泉を通すホースである。幾何学的に埋めるホースが珍しく、しばし工事の模様を見とれた。(写真左)これによって真冬でもコンクリートむき出しの道路となり、車も人も凍結道路などを気にすることなく通ることができる。道路脇の深い雪とは対照的だ。
札幌市内でもロードヒーテングで雪を溶かしている所はあちこちにあるが、歩道だけで、それも電線を埋め込んで電気の熱で雪を溶かしている。湯量豊富な定山渓温泉では温泉熱で路上の雪を溶かしても、湧出量の40%しか利用されてなく、後はたれ流しだという。
シンボルの河童
定山渓温泉は札幌市の奥座敷である。同じような立地条件にある兵庫県有馬温泉と姉妹温泉を結んでいる。
札幌に進出した大企業は、こぞって福利厚生施設として保養所を建てた時期があった。ところが、現在保養所はほとんど姿を消し、零細の旅館も廃業した。残るは収容力のある高層のホテル旅館十数件のみである。都心に近い地の利に全面的におんぶしていた殿様商売が、温泉街の衰退をもたらした。行楽客は魅力ある他の温泉地に足を向けた。定山渓の人口も減った。
温泉街を歩くとあちこちに河童の彫刻に遭遇する。(写真右)カッパ淵、カッパのお堂もある。定山渓と河童とどういうご縁があるのかな。豊平川に昔河童が棲んでいたのかな。観光協会に聞くと、魅力ある温泉街にするために河童をシンボルマークにしたという。漫画家のおおば比呂司の発案だそうで、河童踊り・河童まつりも作ったという。
定山渓温泉を発見したのは備前の国のお坊さん、美泉定山である。(写真左)明治初頭、アイヌの先導でけもの道を通って当地を訪れた定山は鹿が傷を癒し、岩肌から湧き出る温泉をみつけ、以来湯守として温泉を守った。定山が突然の河童の出現を聞いたら、さぞびっくりすることだろう。もしかしたら、自分が河童にさせられたのかと思うかもしれない。
架空の作り話はそう長く持たなかった。今では河童祭りは中止された。ただ、橋のたもとや看板の上などあちこちに、河童がシンボルとして鎮座したり寝そべったりしている。
日帰り湯治客
定山渓温泉は湯量が豊富である。あちこちにお湯が湧き出ている。足湯も作られ、親子が足湯を楽しんでいた。
最近、定山渓温泉では客集めに新しいプランを始めた。通常温泉に行くというと泊りがけを連想するのが一般的だが、泊らない0泊2食というプランである。昼食を食べてゆっくり温泉に浸かり、宿の夕食を食べたあと、泊らずに帰るというものだ。
手軽な料金で、旅行気分を味わえるのがセールスポイントで、このプランを最初に試みたホテルによると利用者は結構多いという。平日一日しか休めない会社員や、家族の介護、ペットの世話で外泊できない人に喜ばれているという。
このような話を聞くと、私もパソコンを持って朝から温泉に浸かりに行きたい気分になる。ところが、温泉街に限ってパソコン環境は遅れている。今回泊った大きなホテルでは、パソコン持参でもインターネットは使えないどころか、ホテルにはパソコンコーナーすらなかった。「今は21世紀です。20世紀の遺物が生き残るのは大変ですなあ」と少々嫌味をこめてフロントに言った。すると若いホテルマンが「お客さん、今の話をフロアにあるご意見番箱にぜひ書いて入れてください。うちの支配人にぜひ聞かせたいのです」という。頭の固い昔ながらの温泉ホテル支配人に、従業員もへき易としてるのかなと思った。
忍び寄る春の足音
札幌市は豊平川の扇状地に作られた町である。その豊平川の上流に当たる定山渓の山あいでは深い谷となり、所々で見事な渓谷美が見られる。
昼間、川に沿って雪道を歩くとさすがに風は冷たい。岩には雪が積もり、水墨画のように見えるところもある。川の流れと木々の間を吹き抜ける風が、全体を支配している。
石狩の 定山渓の山荘は
夜半も朝も 川のみぞ鳴る
与謝野晶子と刻まれた石碑が立っていた。
フクジュソウがでてきそうな土はまだ雪の下である。木々の冬芽も固い。定山渓で雪がなくなるのは5月まで待たなくてはならない。春はまだまだ遠い。
けど、山の斜面を見ると、立木の根の雪穴が大きくなり、黒い土が見えているところもある。(写真右)根開きといわれている現象だ。太陽が高くなるにつれて、樹木に当たる太陽光も強くなって輻射熱になり、それが伝わって根っこの雪から溶け出す自然現象だ。この根開きの穴があちこちで観察される。次第に大きくなる根開きをみると、春の遅い定山渓にも一歩一歩春が近づいているのを実感する。
ヨーロッパでは「3月はライオンのようにやってきて、小羊のように去っていく」という諺がある。3月の始めは冬と春の季節がぶつかって天気も荒れることが多いが、3月も終わりになる小羊のように穏やかになるという。
札幌もすんなり春にはならないだろう。けど、東洋流でいうなら3月は三寒四温である。定山渓を歩いて、ことしは例年より春が早いのではないかいう感じがした。
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。
Copyright (C) 2008 特定非営利活動法人 ネットジャーナリスト協会