創造性の育成塾 メニュー
トップページ
創造性の育成塾について
創造性の育成塾とは
協賛各社のご紹介
女性サポーターについて
お問い合わせ
今日のひとこと
塾だより
科学オリンピックへの道
科学館へ行こう!
北の国からのエッセイ
創造性の育成塾 夏合宿
第5回('10) 夏合宿レポート
第4回('09) 夏合宿レポート
第3回('08) 夏合宿レポート
第2回('07) 夏合宿レポート
第1回('06) 夏合宿レポート
北の国からのエッセイ
増上寺のグラント松
【北の国からのエッセイ】
2010年03月26日
東京 芝増上寺の三門をくぐると、すぐ右手に大木がある。「グラント松」という樹名板が吊るしてある。
明治新政府は北海道開拓の役所・開拓使を、札幌に本庁舎ができる前に、増上寺に仮開拓使を置いていた。
その面影を求めて先月上京し、増上寺界隈を散策したときにこのグラント松に気づいた。
そして開拓使の顧問として、アメリカから招聘されたのがグラント大統領時代の農務長官 ホーレス・ケプロンであったことから、その関係でグラント大統領が増上寺を訪れたのかと思った。
しかしグラント松の傍らにあった立て札には
「明治12年 アメリカ18代大統領グラント将軍が増上寺に参拝した記念に植樹された」
としか書かれていない。
グラント将軍が増上寺を訪れたのは、純粋な増上寺参拝ではなく、ケプロンと関わりがあったのではないか、という雑文を先月書いたら、読者から「記録がありますよ」という連絡を頂いた。
さっそく北海道古文書館に行って調べてみた。あった、あった。
午餐会
開拓使事業報告は、大蔵省が明治18年に編纂した公文書である。その第五巻外事編に
(明治)12年7月米国前大統領「グランド」父子ヲ出張所ニ招待ス。
と記されている。(写真右)
出張所とは開拓使東京出張所のことで、当時すでに札幌に開拓使本庁舎ができていたが、開拓使長官の黒田清隆が参議でもあり、西郷隆盛・大久保利通亡き後の薩摩の最重要人物であったため、東京を離れることができず、増上寺に引き続き東京出張所をおいてケプロンの指導を受けながら執務していた。
玄関ニ両国ノ旗章ヲ交叉シ球燈ヲ掲ケ、警部巡査52名庁内外ヲ警衛ス。有栖川宮・伏見宮・東伏見宮・北白川宮及ビ三條・岩倉両大臣、大木・寺島・山縣・川村・井上ノ諸参議、森外務大輔・吉田全権公使・伊達従二位及ビ米国公使ビンハム来会ス。黒田長官出迎テ「グランド」ヲ客堂ニ導キ、札幌麦酒及ビ北海道産ノ物ヲ以テ午餐ヲ供ス。
なんのことはない、物々しい警備の中、主要王家、三條太政大臣以下、ほぼ全参議が出席して盛大な昼食会を催しているのである。(写真左:開拓使東京出張所・増上寺)
記録には、わざわざ札幌麦酒を取り上げている。
ビールは日本では明治9年札幌で初めて製造され、当時としてはまだ珍しい自慢のビールだったのだろう。
(写真下:創業時の国営札幌麦酒 縦に読むと「麦とホップを…」)
伶人堂傍ニ於テ楽ヲ奏シ庭上ニハ欧州楽ヲ奏ス。
堂の傍らで雅楽が奏でられ、境内ではオーケストラも披露されている。グラント前大統領に対する明治新政府の歓迎ぶりが目に浮かぶ。
そしてホスト役の黒田長官が謝辞を述べている。
要約すると、自分(黒田:写真左)が訪米した1871年に、グラント将軍は大統領の職にあり、農業局総裁であった陸軍将官「ホラシ・ケフロン(写真右)」を開拓顧問として招聘したこと。
ケフロン氏はよくその職に堪え、拓地殖民鉱山農耕牧畜など開拓事業のほとんどに建議してくれたこと、貴国から器械・穀物・惣菜・果木類を購入したこと。
麻薩朱色州(マサツセッツ州)農学教頭「ドクトル・クラルク」氏(注:クラーク博士)を招聘して、札幌農校の教頭として生徒を教育し、大いにその効を見るに至っていること。
北海道はまだ繁盛の域に達していないが、基礎は粗方備わってきたこと。
今日に至ったのも貴国の利に頼ること大であること。
あなたの日本訪問に際して本出張所に臨席を願い、北海道産物や遠く貴国より移種した植物などを一覧に供し、道産品を調理して昼食会を催したこと、ここに微意を表し来臨を謝すること、などを縷々述べている。
グラント大統領は丁寧な謝辞を述べている。(写真右:グラント将軍)
その記念に植樹したものと思われる。
開拓使の証
これではっきりした。あの大木・グラント松は、増上寺境内に開拓使出張所があったからこそ存在したということが。
増上寺は徳川家の菩提寺である。江戸幕府を滅ぼし、薩長クーデターによって成立した明治新政府の前では、増上寺がいかに歴代タイクンが眠っている名刹であろうとも、小さくなって生きていた時代である。栄華を誇った増上寺が一番衰退した時代に、米大統領経験者として初めて日本を訪れたグラント将軍が純粋に増上寺を訪れるはずはないと思っていた。
増上寺を散策したとき、明治の開拓使時代の面影・においはなく、いまは芝公園になっている地下鉄御成門入り口に、札幌農学校前身の開拓使仮学校跡地の碑がわずかにあるのみであった。けど増上寺境内に入ってすぐ聳え立つ大木グラント松が、ここに開拓使があったことを示す大きな証であることがわかった。
(写真左:グラント松の背後左が大殿、右に東京タワー)
大都会のど真ん中にある大木を見上げて、はるか遠かった蝦夷地に思いを馳せると、歴史は面白いとつくづく感じる。
余談だが、この大木はグラント松と呼ばれているが、樹種はヒマラヤシーダ、別名ヒマラヤ杉である。ややこしいがヒマラヤシーダはもともとマツ科で、スギ科ではない。シーダ(cedar)は杉と訳されていたため、昔の植物学者がヒマラヤ杉と呼んだのだろう。
スギは日本特有の樹で、西アジアやヨーロッパにはないとされる。従って「グラント杉」でなく、「グラント松」としたのは正しい理解だと思う。原産地がヒマラヤから西アジアのヒマラヤシーダは、明治初頭に日本に入った外来種で、もしかしたら増上寺のグラント松はそのはしりかもしれない。(完)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。
Copyright (C) 2008 特定非営利活動法人 ネットジャーナリスト協会