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北の国からのエッセイ
イザベラ・バード見聞記に批判 (上)
【北の国からのエッセイ】
2010年04月16日
イギリスの旅行家イザベラ・バードが開国間もない明治11年、女一人で北海道にわたり、さまざまな自然を描写しながら、当時日本でもまだ余り知られていなかったアイヌを訪ねる旅をしたということは、すでにお伝えした。この日本の旅は 「Unbeaten Trackes in Japan」 として出版され、当時アヘン戦争など、海外進出意欲の強かったイギリスでベストセラーになるほどであったという。
その後バードについて研究しているうち、「バードさんそれはないよ、あなたの書いた北海道は間違いだらけ」 と痛烈に批判する人がいることを知った。それもとても著名な専門家ばかりで、ちょっと歩いただけで全てを知ったような記述をするのはおかしい、と口汚くののしったかと思えば、時には皮肉たっぷりに批判している。
これは面白い、さっそく詳しく調べてみた。
ブラキストン ライン
バードを批判した人は2人いた。1人はイギリスの
トーマス・W・ブラキストン
である。ブラキストンというと、日本の動物は津軽海峡を境にがらりと変わることを発見した人として知られ、その境界線は
ブラキストンライン
と云われて、日本の生物の教科書に載るほどである。
彼は幕末から明治にかけて20年間も函館に滞在していた。ブラキストンは貿易商であったが無類の動物好きで、北海道を歩き回って専門家の域に達した人物で、彼が採集した動物標本は、現在も北大植物園内にある博物館に保存されている。
そのブラキストンの蝦夷の紀行文が明治16年、横浜の日刊新聞 「ジャパン・ガゼット」 に連載され、後に
「蝦夷地の中の日本」
として一冊にまとめられた。
この中でブラキストンは、
「噴火湾北東部のルートを行けば天国へ運ばれるとお世辞めいたことを書くようでは、現代の旅行者に対して不誠実だといいたい」
と、まずバードにカウンターパンチを食わせている。
噴火湾北東部というのは、いまの洞爺から噴火湾沿いに長万部にいたる道路で、この途中の豊浦の礼文華峠は余りに険しい。蝦夷地三嶮の一つといわれ、当時函館から南周りで札幌に行く人はこの峠を避けて、船で森付近から海上経由で室蘭に入った。
ところがバードは、行きは海上だったが、帰りは陸路で礼文華峠を越えており、4日間誰一人とも会わなかったと書いている。
私はこれを読んだとき、よくクマに遭わなかったなと思ったほどだ。
今ではトンネルが貫通しているが、峠越えが厳しいことは、若いとき鬱蒼として昼なお暗い当地を通ったことがあり、よく知っている。
ブラキストンは
「この付近を私が初めて旅行したときには、天国の方向へ歩いてもいなければ、天国の門すら見えず、逆に蝦夷で最悪且つ最も忌まわしい道路の一つとして非常な苦労を体験したのである」
と書いている。
またブラキストンはバードが観察した動植物について、間違いをいくつも指摘している。
例えば、
「深い森の中で一本の大きなイチョウの木を見た」
「丈が高くて幹周りが太い木々、とくに小さな扇形の葉をつけており、美しいイチョウは皆 うるさそうなつるが巻きついている」
イチョウは北海道に自生しておらず、バードのいうイチョウは カツラの誤りだと指摘している。
(写真左:カツラ、右:イチョウ 筆者作成標本)
さらに南方のケヤキは北海道には生育してないのに、ケヤキだと言っているのは、ハルニレの誤りだと指摘している。とくにイチョウについては、私も漫然と読んでいて飛び上がらんばかりにびっくりした。
もしバードが言うイチョウだったら、世紀の大発見だ。
イチョウ 物語
ちょっと横道にそれるが、イチョウは太古の植物で、よく「生きた化石」だといわれている。古代地球上に繁茂していたイチョウは、氷河期で絶滅したものと思われていた。ところがわずかに中国奥地で生き延びていたことがわかった。今日のイチョウの原産地は中国で、中国語で「公孫樹」とか「鴨脚子」と書く。中国からに日本に伝わり、これを世に出したのは長崎のオランダの商館付きのドイツ人医師ケンペルで、日本が鎖国政策をとっていた17世紀後半、植物に造詣が深かったケンペルは、他の植物では見られない異様な葉を見てびっくり仰天。自著「廻国奇観」 にイチョウを紹介した。
これをもとに、植物分類学の祖・リンネが
ginkgo
という学名をつけた。ケンペルは日本ではイチョウを 「銀杏」 と書くことを認識しており、英語のスペルでは「ginkyo」となる。ところが学名が「ginkgo」となっているのは、
y
を
g
に写し間違えたためだといわれている。
(写真右:廻国奇観に収められているイチョウ、大英博物館所蔵)
一旦学名として登録されたものは変更はきかない。この結果イチョウは、学名専用のラテン語はもちろん、英語でもフランス語でもドイツ語でもスペイン語でも「ギンキョウ」でなく、「ギンコ」になってしまった。
3年前 リンネ生誕 300年記念式典に参列した天皇陛下は、自らの講演の中で、日本の植物を紹介したケンペルと、学名をつけたリンネの関係を詳しく紹介している。ケンペルは日本のイチョウの種ギンナンを持ち帰って、オランダのユトレヒト植物園に植えた。ここからヨーロッパ中にイチョウが広がった。ヨーロッパのイチョウは、茶碗蒸しにポツンとのっている日本の種から生まれたと思うと面白い。
問題は、それではイチョウが中国からいつ日本に入ったのだろうか、ということである。いろいろな書物を見ると、遣隋使か遣唐使の時代に入ってきたというのが通説になっているようだ。
ただ異論もある。面白いものを紹介すると、紫式部や清少納言が書いたものには、イチョウのことが一言も触れられてない。自然を愛でて植物をよく描写している平安の才女が、あの異様なイチョウの葉を見たら、何か書くはずだ。それが見当たらないのは、当時まだイチョウが入ってなかったからではないか。従ってイチョウが日本に入ってきたのは、鎌倉時代以降ではないか、という説である。
数年前、この論文を見たときに笑ってしまった。
いろいろな推測、見方があるものだ。もしかしたら正しいのかもしれない。菅原道真が「 もみじの錦 神のまにまに 」 ではなく、「 黄金の錦 神のまにまに 」 と詠んでいたら、決まりだったのにと思うと、ロマンは広がる。
(写真左:北大構内イチョウ並木,09年11月)
いずれにしても、そのイチョウの木が関西から遠く離れた蝦夷地にあるとは考えられず、しかもバードがカツラをイチョウと見誤った場所は、4日も人に会わなかった噴火湾東部の未開の地である。こんなところにイチョウの実・ぎんなんが、人為的に植えられたり、転がってくるはずはまずない。ブラキストンでなくても、それはおかしいと思う人は少なくないだろう。
ちなみに北海道に見られるイチョウは、街路樹として植えたものや、明治時代開拓者が故郷を偲んで本州から持ってきた 「望郷樹」 などで、自生はしていない。
腹の虫がおさまらない?
ブラキストンは 「作者のあらを探さなければならないのは、残念なことだけれども・・・」 といって、イチョウ以外にも相当植物や土壌などの間違いを指摘している。植物ばかりではない。動物についてもキジをたくさん見たというけど、蝦夷にはキジはいない。ヤマドリ=エゾライチョウだろうと クレームをつけている。
もし本州でよく見られるキジが蝦夷地にいたら、ブラキストンラインは否定されることになる。
ブラキストンは よほど腹に据えかねたのだろう。バードの記述を 「日本について書かれたあらゆる書物をみれば 見つかるはずの誤った記述」 「調査に値しない粗略きわまる研究結果」 と切り捨て、「二番煎じ」 「この剽窃」 「単に豊かな想像力の所産に過ぎない記述」 とののしり、バード批判を展開しているのである。
他人が書いた本を、こうまで厳しく糾弾しているのは見たことがない。(つづく)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。
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