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北の国からのエッセイ
イザベラ・バード見聞記に批判(中)
【北の国からのエッセイ】
2010年04月22日
開拓使顧問、ケプロン
イザベラ・バードを批判しているもう一人の人物は、アメリカ人 ホーレス・ケプロンである。
ケプロンは現役の農務長官という政府高官であったが、明治新政府によって開拓使顧問として招聘され、現職を辞してバードより早い明治4年来日した。開拓使長官:黒田清隆を指導して、北海道開拓の青写真を描いた人物として知られ、開道100年目の昭和43年、札幌市中心部の大通公園に、黒田とともに立像の顕彰碑が建てられた。(写真左:ケプロン、右:黒田)
ケプロンは農務長官時代、当時綿花などをめぐって汚職の巣窟と言われた農務省に乗り込んだ清廉な政治家といわれ、農業・植物・作物に精通した人物でもあった。
このケプロンが帰国後に著したケプロン日誌 「蝦夷と江戸」 にブラキストン同様、猛然とイザベラ・バードを批判しているのである。ケプロンが帰国したときはすでに70才代、アメリカでもやることはやり、日本でも明治天皇から異例の厚遇を受けるなど、功なり名をとげたおじいさんが、イザベラ・バードの本を読んで血圧を高くした。
蝦夷地はシベリア!
ケプロン日誌ではこのように書いている。
バード夫人は、日本に関するその著書「人の通わぬ道」で
蝦夷はシベリアの気候で
という決まり文句で始めている。
これは東京か横浜に何年か住むとか、あるいは世界旅行の途中ちょっと立ち寄って日本帝国を見物し本を書いたりする英国人一般の繰り返す言葉に過ぎない。
ケプロンは 蝦夷地がシベリアの気候 と言っているのが気に食わないのである。
ケプロンは4年間日本に滞在して調査した結果、当時まだ人口希薄な蝦夷地が、いずれは人口500万人を養える実り豊かな土地になると予言した「ケプロン報文」を日本政府に提出して帰国している。(130年後の現在偶然550万人)それが不毛の地のシベリアと同じといわれて白髪を逆さにした。
男であろうが女であろうがこの気候を事実として受け取っている。なぜならハリー・パークス卿(駐日イギリス公使)やアジア協会がこう言ったからである。一旦こう記録されると人はいつもこの仮説に固執する。
(我々が)気象学上の観察を行って綿密な記録をとり、地球上気候温暖な緯度圏でできるすべての食用植物や果実を栽培し、周到かつ実際的な実験をしたにも拘わらずである。
(アジア協会:アジアについての調査情報収集を目指して、明治5年ローマ字の創始者ヘボン博士、お雇い外国人ジョン・バチョラー東京帝国大学教授、パークス公使などイギリス人を中心に東京で創立された団体)
ケプロンは明治維新で薩摩藩の後ろ盾だった豪腕パークスらが、蝦夷地がシベリアの気候と言っているのを日本滞在中、苦虫をつぶす思いで聞いていたものと思われる。
ケプロンはバードがそのパークスらの話を検証もせず、鵜呑みにして書いているのを批判しているのだ。取りようによってはケプロンの婉曲的なイギリス批判とも言えなくもない。ケプロンの言葉の端々にアメリカ人のイギリス嫌いが垣間見れる。
パークス駐日公使(イギリス)
ケプロン前農務長官(アメリカ)
ケプロンは、キュウリやナス・ジャガイモから小麦・リンゴ・ブドウなど、いまの日本の食卓にのっている食材のほとんどを持ち込み、北海道で試験的に栽培している。日本の近代的食材の祖 とも言える。
山梨県はブドウの産地として知られているが、これも大久保利通が山梨県令(県知事)に 「北海道で栽培されているブドウをお前のところでもやってみたらどうか」 と勧めたのがきっかけである。青森のリンゴもしかりだ。
このように実証的な実験をやって、当時野菜といえばダイコンしかなかった日本の農産物を、北海道で増やしていったケプロンとしては、「蝦夷地はシベリア」とハナから言っているイザベラ・バードを許せなかったのだろう。それがベストセラーになっているだけに、なおさらのことだったかもしれない。
温度線と緯度線は平行しない。太平洋の暖流は、大西洋の暖流と同じように温和な影響を与える。さらにもう一つ重要な事実は、蝦夷地の最北端の宗谷岬は、イギリスの最南端の岬よりもっと南方に位置しているのである。
ケプロンはこう言って、もし蝦夷地がシベリアなら、より北にある あなたのイギリスは氷河地帯ですか と言わんばかりである。
ケプロンはこれ以外にもブラキストン同様、バードの記述に不快感を隠そうとしない。
バードは親指太郎?
未開のアイヌにすっかり目を奪われ、蝦夷の大きな熊としつこいノミに驚き、海上や陸上の危機を危うく逃れる。危険な山道を行き、急な坂道では馬がいつもひっくり返り、背中の荷物に引っ張られる蝦夷の「人の通わぬ道」は、万事彼女のフィクションで埋められ、将来の史実を作るのに役立っている。
ケプロンはこのように皮肉ったあと、世界をさっと歩いて情報を歴史に加えるイザベラ・バードを
「『一跨ぎ七リーグの靴』で北海道の島を見物して歩いている」
と酷評している。一跨ぎ七リーグの靴 とは、童話「親指太郎」の中にでてくる人食い鬼が履く靴で、七リーグは約33kmである。ケプロンおじいさんもいろいろ面白い表現でバード夫人を批判している。
生物の専門家のブラキストン、農業政策の専門家のケプロンに、こうまでこっぴどく罵倒、批判されたイザベラ・バード、さあ どう対応したのだろうか。
バードは日本滞在中、パークス公使からもらった外交官特権なみの“印籠”を、何度も持ち出しては難局を切りぬけた。
もしこの印籠がなかったら逮捕されていただろう、と書いている。
本を出版してからの左右のパンチは、いずれも強烈なアッパーカットだ。これらをかわし得る印籠を、彼女はもちあわせていたのだろうか。(つづく)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。
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