_blank
     
札幌で金が採れた
【北の国からのエッセイ】 2010年06月11日
最近為替相場が落ち着かない上、株価も下降気味でダウは1万円を割って市況は低迷している。こうした不安定な時期になると、市民は安定した資産形成を求めるのだろうか、金が脚光を浴びているという。こういうときに偶然、札幌にある金鉱を見に行こうという話がもちあがった。

日本の金山というと、佐渡の金山とか鴻之舞(北海道)、菱刈(鹿児島)などを連想する。札幌にも金鉱山があったのだろうか。先日、観光客に「札幌には国立公園があるんですよ」と紹介したら、本州の客はびっくりしていた。(支笏洞爺国立公園)けど金鉱山まであるとなると、ガイドの私までがびっくりする。人口190万人、日本で5番目の大都市になっても、札幌には他の大都市では見られないローカル色がいろいろあるようだ。

手稲鉱山
行先は手稲山(1024m)である。隣接する小樽市に近い。札幌オリンピックが開催された時のアルペン会場となったところで、スキー場以外には頂上に放送局のテレビ用のアンテナが林立している。

 

市民は都心にある札幌の象徴・テレビ塔からでなく、手稲山頂のアンテナから電波を受信して、日夜テレビを楽しんでいる。晴れた日には我が家の窓からも見え、初冠雪を毎年観察している。(写真上08年10月30日)手稲山頂で初雪が見られると、その10日から2週間後には里にも初雪がちらつく。もうすぐ冬かと思う季節の指標でもある。

兵どもの夢の跡
この山の中腹よりは麓に近いところに手稲鉱山がある。鉱山といっても、今は廃坑になっている。けれど、れっきとした金鉱で、明治・大正・昭和の戦前まではゴールドラッシュに湧いたという。いまは廃坑の廃水処理などを監視している事業所だけでひっそりしている。事業所の案内で、普段は立ち入り禁止のゲートを越えて車を進めると鉱山跡に着いた。

巨大なコンクリートの廃墟があった。まるで中近東の戦場跡のようだ。選鉱場である。(写真右)
ここで金を含有している岩石を砕いて、瀬戸内海の精錬所まで運んだそうだ。

最盛期の昭和15年ころを中心に、2万トンの金を採掘し、当時は東洋一の選鉱場であったという。廃墟となったコンクリートの残骸を見ると「兵どもの夢の跡」という感じがする。

鉱山跡地の植生
坑口はどこにあるのだろうか。あちこちにあるらしいが、いちばん近いところで歩いて20分ほど、私たちは緩やかな山道を上った。

道の両サイドはずり山で、有益鉱物をより分けた残滓がうず高く積もれていたという。鉱物の残りかすは炭鉱地帯でもよく見られ、九州では「ボタ山」というが、北海道では「ずり山」といわれている。

これらのずり山も半世紀以上もたつと、周辺の野山と同化して緑で覆われている。よく見ると細いシラカンバ(白樺)が圧倒的に多い。(写真下左)

シラカンバは陽樹で、明るい場所にいち早く生育する樹木で、パイオニアツリーでもある。火山の噴火跡や、水害で流された荒れ地にまず生育するのは、樹木ではシラカンバ、草本ではウドだ。鉱山跡で植生の変化を観察できるのも面白い。

金鉱の入口
坑口は閉鎖されていた。(写真下左) のぞき窓からは真っ暗で中は何も見えない。手を伸ばしてフラッシュをたいて撮影したらきれいに内部が撮影できた。(写真下右)  整然と整理されていたのにびっくりした。

 

私たちは坑口の周辺で案内人の説明を受けながら、しばし往時をしのんだ。坑口の周辺に流れる川の河床を掬うと、金が採れるだろうか。他愛ない話に笑いが山に響いた。手稲鉱山では金が採れなくなった後は、銀や銅を採掘していたという。

手稲鉱山は最盛期には4000人が住み、周辺には学校から郵便局、映画館までできたという。しかし今は跡かたもなく、麓は住宅で埋まっている。(写真右)

代わって都心部のバスターミナルから「手稲鉱山行き」という路線バスが通っており、鉱山があったのだなあということをわずかに思い起こさせる。

金鉱の後始末
鉱山から出る廃液はダイレクトに川や海に流すわけにはいかないので、あちこちにため池が作られ、沈殿してから流されたという。

その沈殿地もみな埋め立てられ、いちばん大きなため池は自動車教習所のコースになっていた。鉱山は廃坑になってからが大変だという。

放置しておくと、有害な廃液が垂れ流しとなり、場合によっては土砂崩れを誘発する。
鉄がさび、苔の生えた鉱山跡に代わって、あちこちに新しい砂防ダムができている。その名も金山川ダム。鉱山の後処理に、莫大な公共事業費が費やされていることがよくわかる。(写真左)



鉱山というのは栄枯盛衰、廃坑となった鉱山にはどうしても侘しさが漂う。札幌から小一時間の地域に、金鉱で栄えた歴史があったことを思い知らされた。

初夏の鉱山跡には新緑が映え、フキノトウの雌株が50センチほどすくすく伸びて、茎先に次世代を託す白い種をいっぱいつけていた。(完)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。