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古道 濃昼山道
【北の国からのエッセイ】 2010年06月21日

古道といえば南紀の熊野古道をまず連想する。霊場の場に通じる道として、国の史跡に指定されているだけでなく、世界遺産にも登録されている立派な道だ。北海道からも熊野古道歩きを楽しもうというツアーが絶えない。

その一方で、昔は生活道路として往来があったが、その後直線道路やトンネルができたりして、道としての役割を終え、ひっそり藪の中にかき消されそうな道もある。

北海道でも指折りの難所であった古い山道を歩こうという催しがあり、それほどの高い山(357m)でもないこともあって、6月、体力とあまり相談せず参加した。

峠越えの難所
この山道は濃昼(ごきびる)山道という。

昼なお緑濃き山道なのかなどと勝手に想像していたが、アイヌ語でボキン・ビルとか、ボキビルといって山の陰、水が巻くところを意味し、勝手に漢字があてがわれたようだ。一度教わらなければ絶対読めない地名だ。ときどき間違ってゴキブリ山道と言ってしまう。

札幌から北に1時間半、日本海側ぎりぎりまで崖が突き出て、南北の往来を阻んでいる地形となっている。

この崖下の石狩市厚田と浜益を結ぶ山道が濃昼山道で、江戸時代末期北方警護のために道が作られ、以降100年以上も南北を結ぶ生活道路として利用されてきた。昭和46年、海岸沿いに国道231号線のトンネルができたことにより、忘れ去られた道路となったが、近年歴史に残る古道を残そうという動きがでてきた。

ニシン漁以外何もなかった寒村の旧厚田村は、横綱吉葉山の出身地であり、2代目の創価学会会長、戸田聖城が育った「聖地」となっている地でもある。

このフィールドワークに参加したのは、濃昼山道が野花の宝庫であると知らされていたからだ。路線バスが1日1往復しか通ってない超辺鄙なところだけに、足付きのツアーは願ってもないチャンスだと思った。

バスから降りて軽く柔軟体操をした後、山に入る。清水が流れており、石の上を渡って対岸に渡る。

野花の宝庫
細い山道を登っていくと、両サイドに早くも薄紫色のオオタチツボスミレ(写真下左)や、白いニリンソウ(写真下右)の群生に出遭う。いずれも札幌近郊の野山ではとうに終わった花だ。それが当地ではいまだにのびのびと咲き誇っている。土壌が良いせいか花柄が長い。

 

花の色が緑となって、葉への先祖がえりを示すミドリニリンソウもあちこちで観察される。普段はなかなか見つけることができないものだ。

トリカブトに似た花の群生に出遭う。色が紫でなく黄色だ。葉も違う。同じ仲間のレイジンソウだ。(写真右)  雅楽を奏でる伶人の冠に見立てて付けられた。時々みかけるが、こんなに群生しているのを見るのは初めてだ。

この他、花が猿の顔に似ているラン科の植物サルメンエビネ  (写真下左) や、葉の根元に丸い赤茶けた花をつける奥ゆかしいオクエゾサイシン (写真下中) なども観察される。

野花観察はどうしても地面ばかり見がちだが、ちょっと前を見ると灌木のタニウツギのつぼみが膨らんで、ピンクの花が開き始めた。(写真下右)



   

婆殺しの道
山道は緩やかだがつづら折りとなっており、次第に膝に響く。

樹木のトンネルを抜けると突然視界が開けてきた。新緑の山並みが連なるすばらしい眺望だが、足元は人一人しか通れず、踏み外すとずるずると崖下に滑り落ちそうで足がすくむ。

この日は快晴だったが、2日前の雨でも足元がまだ濡れているところもある。これでは当日雨でも降れば、とても峠まで行くことはできない山道だ。

濃昼山道は「婆殺しの道」と言われたという。唯一の生活道路であった時代に、背中に重い荷物を背負った女性が足を滑らせて、犠牲者が多く出たという。先人の労苦がしのばれる生活道路だ。

ガイド役の森林管理局によると、実際の山道は、もっと山深い陸地側を迂回した道だったようだ。(地図右)

今回私たちが歩いているのは、地元のボランティアが毎年ササを刈って作った新しい道だという。案内してくれたスタッフは全員クマよけの鈴をつけていた。おかげでこうして、素晴らしい野花を観察できた。マニアしか通らない山道だけに、野花はのびのびと生育していた。

初めて観察する野花はなかったが、撮影できた野花は21種、足元が悪くて撮影できない野花もあって実際には50種以上みており、一度にこんなに多くの花を観察できたのは久しぶりだ。やはり人が余り入らないところは違う。

峠近くなって見事なピンクのオオサクラソウを観察する。(写真下左)  疲れを癒してくれる可憐な花だ。

右下の写真はミツバアケビ。植物園でみたことはあるが、自然界で観察するのは初めてだ。「どんな実がなるのだろうね」バッグから取り出した図鑑を周りの人が取り囲む。

 

史跡?ニシン魚場
麓を出発して2時間、目的地の濃昼峠に着いた。標高はわずか357mしかないけど、とても長く感じた。峠からは、山が海岸まで迫っていることがよくわかる。(写真右)

快晴の日、穏やかな日本海が一望できた。「ああこの海に幻となったニシンの大群が押し寄せたのか」と、しばし見入った。

産卵のため海岸に近づくメスを追って、オスが射精すると、海が白くなる。群来(くきる)という。春先、「群来た」と叫んでは、浜は大賑わいとなった。

昭和30年代でばったり止まったニシンの群れ、もし海でなかったら「史跡:ニシン群来地」という碑が立ったかもしれない海である。

たまたま訪れた時は、札幌で「よさこいソーラン祭り」が開かれていた。

ソーラン節はニシン漁で、やん衆が唄ってできた民謡だ。春まだ浅い寒い北海道で、単調で辛い肉体労働を共同でこなすために、やん衆が唱和しあった。

車の往来を遮断した都心の道路を一杯に使って、リズムにのって踊っている現代の人は、ソーラン節が厳しいニシン漁の労働歌であったことを、どれだけ理解しているのだろうか。そんな気持ちで踊っている人はまずいないだろう。(写真左14日:南大通り)  踊った後の爽快感というか、満足な表情がそれを物語っている。

日本海沿岸では、隣町の増毛(ましけ)町などで、今より明治時代の方が人口が多かったという。


栄枯盛衰の日本海沿岸が一望に見渡せた濃昼峠であった。濃昼山道から帰ると、足の筋肉痛がひどくて、歩幅は小さくなり、1階から2階への階段の上り下りは、しばらくはエレベータを使わなければならなかった。(完)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。