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道北の旅 (1) ~自然の面影残す大河・天塩川~
【北の国からのエッセイ】 2010年07月12日

夏の北海道は観光客でにぎわう。

広い北海道だが、どこに行ってもツアー客から個人の旅行者まで、逢わないことはない。その中で比較的観光客の少ないのが北海道北部、道北地方と言われる地域である。ところが道北地方こそ、手つかずの自然が最も多く残されている地域でもある。

7月初め、これらの自然を求めて札幌を北上した。

自然の大河
北海道の屋根、大雪山系から端を発する川は、石狩川となって南に流れるが、隣の北見山系天塩岳から端を発する川は、天塩川となって北に流れ、日本海に注いでいる。

全長256km、日本で4番目に長い大河である。3番目に長い石狩川が、比較的知られているのに対し、天塩川の知名度がイマイチなのは、人口の少ない地域を流れているためであろう。それだけに人の手も余り入ってなく、堰などの川を横断する工作物が少ない、いわば自然のままの河川である。



この長所を生かして、天塩川はカヌーのメッカとなっており、毎年150キロ以上を下るカヌーの全国大会が開かれている。上流でも川幅は広く、悠々と流れる天塩川を見ると、日本にまだこんなところがあったのかと思う。見るだけで涼味満点だ。(写真左:美深町付近)

世界の三大珍味
幕末の探検家・松浦武四郎は、天塩川を舟で渡ると 「舟べりにたくさんの三角の頭をした魚が寄ってきて気味が悪かった」と、旅の記録「手塩日誌」に書いている。

この魚こそチョウザメである。(写真右:美深町チョウザメ館)

武四郎の日誌で、チョウザメが日本に棲息していたことが確認された。世界の三大珍味のひとつ「キャビア」は、チョウザメの卵である。チョウザメは明治時代には天塩川で観察されたそうだが、残念ながら現在日本では生息されていないとされている。

天塩川流域に、美深(びふか)町という人口5000人ほどの小さな町がある。美深町というより「日本一の赤字路線の美幸線が走っていた町」と言った方が、思い出す方も多いだろう。国鉄の赤字廃止路線が問題になった30年ほど前、毎年のように断トツの赤字路線・美幸線が脚光を浴び、鉄道ファンにとっては懐かしい旧国鉄線である。名物町長がいて、日本一の赤字路線を逆手にとって観光客を集めたが、第一次廃止路線の対象となってあえなくダウン、美幸線は消え、町長も他界した。

このアイデア町長は、町おこしにチョウザメの養殖を始めた。曰く「天塩川にはチョウザメがいたのです。その復活をめざします」

20年ぶりにチョウザメ館を訪ねた。全長1m以上のチョウザメが、うようよ水槽の中を泳いでいた。特徴の三角頭を水面からだして泳いでいる。(写真左) 武四郎が「気味悪い」と言ったのもうなづける。今は卵を採取して増やす時期で、天塩川に放流するのはまだ先のことのようだ。

天塩川にチョウザメが復活して、カヌーの船べりに三角頭をつきだし、行楽客を気味悪がらせてほしいものだ。一大観光資源になること間違いなしだ。

和人初の訪問者
美深町には松浦武四郎の記念碑が建っていた。面白い形をした碑だ。(写真右)

しばし眺めているとわかった。右側の立っているものは筆で、左の波形の碑はノート、つまり武四郎が書いた「天塩日誌」を表している。
碑の右頁には

ゑみしらは 筍(け)にもる飯も 古の さまをつたへて 葉椀にぞもる

アイヌの家に泊めてもらった武四郎が、夕食の模様を詠ったものだ。

またアイヌの妻が弾いて聞かせてくれた五弦琴(トンコリ)を聴いて詠んだ歌が、左頁に書かれている

かきならす 五の緒ごと音さえて 千々の思いを 我も曳けり

武四郎は和人として、最初に美深の地に足を踏み入れた人だという。

北海道の名称 発祥地
美深町から天塩川沿いにさらに30キロほど北上すると、音威子府(おといねっぷ)という村がある。面積は広いが、人口は千人を割ってわずかに898人(21年9月現在)、おそらく日本でもっとも小さな自治体ではないだろうか。

この村を流れる天塩川沿いに木でできた記念碑が建っている。(写真左) 「北海道命名之地」と書かれていた。

松浦武四郎はこの地を訪れたとき、アイヌの長老から「カイ・ナ」というアイヌ語を教わった。「カイ」とは“この国に生まれた者=アイヌ”という意味で、「ナ」は尊称である。

明治新政府は、函館戦争が終息した明治2年、ロシアの南下政策に対抗するため、早々に蝦夷地経営に乗り出し、その手始めに当時「蝦夷」と言われた地名を変えることにした。名前を付けるよう依頼されたのが、当時和人の中で蝦夷地にもっとも詳しかった松浦武四郎である。武四郎は6つほどの案を新政府に提出し、新政府はこの中から「北加伊道」を選んだ。

頭の「北」は方角、後ろの「道」は五畿七道、東海道や山陽道の道、そして真ん中に「カイ」を「加伊」という漢字をあてて、「北加伊道」とした。明治新政府は四面海に囲まれていることから、「加伊」を「海」に変えて今日の「北海道」が誕生した。

アイヌの長老から聞いたアイヌ語が、北海道につながったのだ。江戸末期、和人の松前藩にいじめられていたアイヌに深い理解を示し、その人権無視の非道ぶりを告発し続け、判官(本省の局長か次官に近い官職)を捨てた武四郎の思いが込められた北海道といえようか。

札幌にある重要文化財「北海道庁旧本庁舎」、通称「道庁赤れんが庁舎」に、武四郎がアイヌの案内で阿寒湖畔を探訪している大きな絵がかけられている。(写真右)文化勲章受章者・岩橋英遠が描いたものだ。

赤レンガ庁舎で観光ボランティアをしている私は、この絵の前で「北海道にはアイヌ語の地名が多いけど、北海道もアイヌ語なんですよ」とガイドすると、ほとんどの観光客が驚きの声を上げる。なかには「そのうそ、ホント?」という顔つきをする人もいる。

天塩川沿いの北海道命名の地に4年ぶりに訪れた。このあたりの川幅が20mはあるだろうか、広い。武四郎が舟から降りたであろう川辺まで行って、水の中に手を入れてみた。150年過ぎてもなんら変わらない自然を共有したように思えた。そして よくぞこんな奥地まで調査に入ったものだと思った。


北海道遺産 天塩川
旅の最終日に、日本海沿いの天塩町を訪れた。天塩川の下流は一段と広く、まるで湖のようだ。(写真下)

河口付近は道内で一番のシジミの産地だ。昼食に特産シジミの混ぜご飯に、シジミのみそ汁、シジミの甘辛味噌を食べた。

天塩川は山間部を流れる上流では、林業を育み、名寄盆地を流れる中流では、北限の水田を潤し、湿地帯を蛇行して流れる下流では、畑作・酪農地帯の水脈となって、昔の姿のままで悠然と流れている。自然の姿をいまだに残す天塩川は、川全体が「北海道遺産」に指定されている。(完)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。