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道北の旅 (2) ~砂金ざくざく ウソタン共和国~
【北の国からのエッセイ】 2010年07月14日

私たちは道北の内陸部の音威子府からオホーツク海側に出るコースを選んだ。オホーツク海側といっても網走の方ではなくて、限りなく稚内に近い北オホーツク地域で、人口がもっとも疎なる地域である。

海側から見ると、ゆるやかな北見山地から北に氷河跡が見られる宗谷丘陵とつながり、先端の宗谷岬から海に落ち込む。

稚内から網走までの長い海岸は、25年ほど前、大韓航空機撃墜事件がサハリン沖で起きた時、漂着物が続々流れついた所である。昔、車で素通りしたことがあるが、北オホーツクをじっくり回るのは初めてだ。

同行した案内人が、「それではこれから“ウソタン共和国”に向います」と宣言した。そんな地名も共和国も聞いたことがない。名前からして“うそじゃない”と思いたくなる。いま私たちがバスを走らせているところは、北見枝幸から浜頓別に向かっている。


共和国大統領
浜頓別を海岸沿いから少し内陸部に入ると、地元の男性が私たちを迎えてくれた。

「私がウソタン共和国の大統領です」と自己紹介した。きちんとネクタイを締め背広を着ている。あとでわかったことだが、酪農業を営む大統領は私たちを案内したその足で、札幌に所用で向うということで、農作業着から背広に着替える時間が惜しくて「自分にはふさわしくない服装」をしてきたという。(写真左) 

大統領曰く「ようこそ。はるばるウソタンまで足を運んでいただきありがとうございます。私が小さい頃は、なぜこんな地名なのだろうと、子供ながらコンプレックスを持ちながら生きてきました。しかし、いまは誇りを持ってウソタンで生活しております」

ウソタンとはアイヌ語で、日本語としてはちょっとおかしいが、“お互いに滝が掘っている”という意味だそうだ。ユーモアを交えてあいさつした大統領が、まず私たちを案内したのは森だった。

「オオワシの森」という標識があった。(写真右:浜頓別町)
冬になるとオオワシが群れて訪れることから、地元の子供たちが付けた名前だという。


夏のこの時期にはオオワシはいないが、大統領がみせてくれた写真には、オオワシが落葉した木々に鈴なりに止まっていた。(写真下左) 羽を広げると2m以上になるオオワシは、一羽観察できただけでも大騒ぎする天然記念物だが、ここでは群れており、むしろ人間が肉食のオオワシに襲われるのではないかという恐怖感を抱いた。

余りにも自然豊かな所である。最近イギリス人が、極東にしか生息しないオオワシやオジロワシのバードウオッチングに、根室などの道東地方によくツアーで見える。双眼鏡が必要でないほど、目の前で観察できるウソタンを案内したら、なんと言うだろう。  “Oh、wonderful” か“unbelievable”か。

ウソタン砂金地
大統領の車のあとについていくと、ウソタン共和国の“首都”に着いた。(写真右)

砂金の採れるところである。オホーツク海で砂金が採れたことは、漠然とは承知していたが、案内してくれた所が本丸であることを知って驚いた。




ウソタンを流れるウソタンナイ川とその支流で、砂金が見つかったのが明治31年。以来、一攫千金を狙う密採者(許可なく採取する人をこう呼んだ)が続々川に入った。人跡未踏だった樹海に、最盛期で全国から1万数千人が集まり、遊郭までできたという。

アメリカ大陸の北西部を流れるクロンダイクで、19世紀末ゴールドラッシュが起きたが、その数年後、開拓が全く進んでなかったウソタンナイ川流域は  “東洋のクロンダイク” として一躍脚光を浴びた。

北海道では 日高や十勝にも砂金の取れる川があった。記録を読むと、ヤマ師は米と味噌をもって山に入り、川辺のフキを食べて砂金掘りをしたという。しかもヒグマに備えて食事をする所で休むことはせず、必ず数百メートル離れた所で寝たという。けど、ウソタンでは現在の浜頓別町の人口(4,100人)の3倍以上の人が詰めかけては、クマのほうが退散したことだろう。

この地で採れた砂金の量は、これまでに550貫(2062kg)に達すると言われる。とくに明治33年に発見された金塊は、大きさが10.6cm×6.3cm×2.5cm、重さ205匁(768.75g)、わが国最大の金塊とされる。(写真右:レプリカ)

売却価格は960円50銭、現在の価格にして1800万円だったという。ウソタンには戦前、企業が一時進出したが、閉山後しばらく経た昭和60年、「ウソタンナイ砂金採掘公園」として整備され、いまではレジャーとして砂金採りを楽しむ行楽客で賑わう。8年前には砂金採り世界大会も開催されたという。

ちなみに公園ができた後でも、平成6年、東京八王子市の人が長さ1.3cm幅0.8cmの金塊を発見したという。(写真左:レプリカ)



昔、佐渡の相川で、砂金採りを体験したことがある。佐渡よりははるかに自然が残されている当地で1週間ほど滞在して、ゆり板を川に付けて砂を選り分け、砂金探しに興ずるのも楽しからずやと思った。いただいた資料の中にこのような記述があった。

永遠に光り輝き、ずっしりとした重量感のある黄金は、古くから人類の大きな魅力でした。ウソタンナイ川の上流には砂金掘りの人が残した「金山神社」や「無縁仏の石塚」があり、つわものどもの夢の跡の、川の石を掘って積み上げた「石垣」をみることができます。
川底を掘り、砂利を洗い、黒い砂鉄の中から山吹色に光る砂金を見つけだすとき、私たちに大きなロマンを与えてくれます。


ウソタン共和国は、砂金の歴史や砂金掘りの文化の伝承などを目的として活動し、毎年8月には砂金まつりなどのイベントをやっているという。農業の町で職種を越えて国造りに励む共和国は、子供たちの課外教育、町の産業発展に貢献するなど、地域になくてはならない共和国として活動しているようだ。

砂金百年記念碑の裏側には、大統領以下、大蔵大臣・ゆり板大臣・歴史発掘大臣・官房長官などの “閣僚名簿” が刻まれていた。(写真左)  (完)


望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。