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道北の旅 (4) ~咲き乱れる湿原の花~
【北の国からのエッセイ】

2010年07月23日


私たちはオホーツク海から最北宗谷岬をへて日本海側に入った。最終日、目指すは大湿原が広がるサロベツ原野である。

日本海側の国道を南下すると、天気が良ければ雪を頂く利尻島の利尻富士(1719m)がくっきり見えるのだが、残念ながらこの日は厚い雲がかかっていた。

海岸沿いにはハマナスが咲き乱れている。そばに碑がたっていた。


浜茄子(ハマナス)の
咲きみだれたる サロベツの
砂丘の涯の 海に立つ富士


「森繫久弥」と刻まれていた。
森繫は知床とか稚内とか、さい果てが好きだったのだろうか。



水生植物 コウホネ
碑の近くに「コウホネの家」と呼ばれる小屋があった。珍しいコウホネを見るための避難小屋なのだろうか。森繫の碑の後ろを歩くと沼があり、コウホネが観察された。

コウホネはスイレン科の水生植物で、スイレンやハスと同じく沼や池に浮かんでいる。ただ、スイレンに見られるバラのような大きな花ではなく、細い茎が突き出てその先端に小さな黄金色の花が咲く。とても可憐だ。

コウホネにはいくつかの種類がある。葉をみていただきたい。水中に浮かぶ葉が水面から突き出ているのが一般的なコウホネだ。(写真上)

葉が水面から突き出ず、水面にべったり浮かんでいるのがネムロコウホネといわれる。(写真下左)  その中で花の中心部の柱頭が黄色でなく、赤いのがオゼコウホネである。(写真下右)  湿原で足場も悪く、望遠でこの程度しか撮れなかったが、真ん中が赤いなというのがわかるでしょうか。

 

ネムロとかオゼというのは、その地にしか生育していないというのではなく、たまたまその地で初めて見つかったため、地名が植物名の一部に付けられたものだ。「コウホネの家」ではコウホネしか観察できなかったが、1時間後に到着したサロベツ原野の沼では、ネムロコウホネもオゼコウホネも見ることができた。(上記写真)

簡単には観察できないコウホネを、一日に3種類も観察できてご満悦である。コウホネは環境の悪い沼では生育せず、最近は全国的に激減しているという。コウホネという名は珍しい。水中に張っている茎が人間の背骨に似ていることから、河骨と言われた。

広漠たるサロベツ原野
車はまもなく大平原のサロベツ原野に着いた。国内では釧路湿原につぐ大きな湿原だ。ただ、釧路湿原のようなハンノキなどの樹木はほとんど見られず、地平線まで原野がつづく。

この広漠たる原野が、エゾカンゾウの黄色い花で一面覆われていた。まさに黄色の絨たんが、地平線にまで広がっている。

サロベツ原野では、開拓者が入植した当時は、春になると雪どけ水で、しばしば水害に襲われた。湿地にじわじわと上がる水位に、牛を背負って2階にあげ、水が引くのを待った時もあったという。

また、一度上がった水位は容易に引かず、酪農家は集乳缶を舟で運んだという。厳しい環境にくじける気持ちも、7月になって一面にお化粧をする黄金の大地に、酪農家はどんなに元気づけられたかと回想する。

湿原の花
サロベツ原野の7月は、1年で一番華やかな季節だ。この規模は、広い北海道でも他には見られない。まさにエゾカンゾウは湿原の花だ。何度訪れても素晴らしい。

エゾカンゾウはユリ科の植物で、本州ではニッコウキスゲと言われている。江戸時代からゼンテイカと言われていたが、牧野富太郎博士によると、明治に入って和名に「ゼンテイカ」「セッテイカ」「ニッコウキスゲ」の3つの名前を発表したが、ニッコウキスゲの響きが良かったのか、もっとも人気を得て広まったという。北海道ではエゾカンゾウだが、東北地方などでは単にカンゾウと呼んでいるところも多いと聞く。

エゾカンゾウの花の命は短く一日である。朝咲いて夕にはしぼむ。ただ、茎の先端にいくつもの花芽があり、次から次に咲くのでいつまでも咲いているように見える。同行した植物学者によると、エゾカンゾウは食べるとおいしいという。「どうせ一日限りの命のうえ、次から次へと咲くのだから、もっと食べてもいいのでは・・」と、ジョークをとばした。

札幌に戻ると、たまたま道東の霧多布(きりたっぷ)湿原で、エゾカンゾウの花がエゾシカに食べられているというニュースが流れた。人間が食べておいしいものは、シカが食べてもおいしいのだろうと思った。

実はエゾカンゾウのエゾシカによる食害は、霧多布湿原だけではない。この現象は数年前から見られ、ある湿原に行く計画を立てたら、エゾシカの食害でエゾカンゾウが姿を消したということで、計画をとりやめたこともある。

エゾシカはこの10年で急激に増える一方で、ハンターの高齢化も進み、思うように捕獲できない状態になっているという。今年になって道知事は、ついに自衛隊に捕獲を要請する事態となった。エゾシカの密猟で、逮捕者がでた四半世紀前とは様変わりの時代となっている。(写真右:洞爺湖中島のエゾシカ 2008年4月)

サロベツ湿原の黄色の絨たんに、エゾシカがどっと現れたら大変だと思った。けど それは大丈夫、見渡す限りの原野ではエゾシカが隠れるところはなく、天敵に襲われるようなところにエゾシカは容易に近づかないという。

ちなみにエゾシカの肉は美味しいのだろうか。札幌農学校時代に出された夕食の肉は、常にエゾシカだったという記録がある。

札幌でもエゾシカ肉を食べることができる店がある。ちょっと臭みがあるが、私はおいしいと思った。馬肉をさくら肉をというが、エゾシカの肉は? もみじ肉です。花札が大好きな人はすぐ納得するでしょう。

アヤメ科 三種
サロベツ原野にはこの時期咲いているのはエゾカンゾウだけではなかった。ワタスゲが風に揺れている。アヤメも同じ場所で3種類観察できた。すでに峠を越したヒオウギアヤメ、今が盛りのカキツバタ、咲き始めのノハナショウブ
一見同じようでもそれぞれ模様や色に特徴があって、何度も観察していると次第に識別できるようになる。

ヒオウギアヤメ
カキツバタ
ノハナショウブ

地味な湿原に青い花はとてもきれいに見え、同行したご婦人に「(今が盛りの)カキツバタのようですね」と言葉を投げかけた。どんなご婦人でも、お世辞だとわかっていながらもうれしそうだ。そのあと「50年前の話です」と落としたら睨まれた。

乾燥化すすむ大湿原
広い湿原も悩みを抱えている。ご多分にもれず、ここでも湿原の乾燥化が大きな問題となっている。水害から酪農家を解放するため1965年、融雪水を効率よく流すサロベツ放水路が作られた。これによって湿原は劇的に乾燥化し、広大な牧草地として生まれ変わった。

湿原の木道を歩くと、ササが生い茂っている。(写真左) ササは乾燥化の象徴で、ササが優勢な湿地は乾燥化が進んでいることを示している。ちょっと専門的になって恐縮だが、湿原は地下水が湿地より上を流れるか、下を流れるかによって、「低層湿原」と「高層湿原」に区分される。

湿原の位置の高低によって分かれるものではない。地下水が湿地の上を流れる低層湿原は、浸透するミネラルを含んだ地下水の影響をまともに受けて富栄養化となる。代表的な植物はヨシである。

これに対し、地下水が湿地の下を流れる高層湿原は、地下水の影響は少なく、水は天から降る雨や霧に頼る貧栄養化の湿原で、代表的な植物はミズゴケである。

もちろん一つの湿原の中に高層もあれば低層もあり、その中間もあって湿原を複雑にしているが、水が湿原の命であることには間違いない。低層湿原の代表が「釧路湿原」であり、高層湿原の代表が「サロベツ湿原」で、その景観を保護するため、どちらも国立公園に指定されている。(湿原で国立公園に指定されているのは、この他、尾瀬がある。)
 
釧路湿原(2009年7月)
 
サロベツ湿原(2006年7月)

湿原から受けるイメージは人によってさまざまだと思う。イメージするのは渡り鳥の群れか、美しいけど陰りのある花か、それとも不毛の地をイメージするかもしれない。

日本の湿原研究の第一人者がこういった。

湿原、それは巨大な絵画である。


2泊3日の今回の旅で道北の大小4つの湿原を訪れた。一つとして同じものはない。また湿原自体の変化、季節による変化などによって巨大な絵画は千変万化である。

日本の湿原の80%は北海道にある。逆に言うと開発が進んだ本州では湿原は消滅し、湿原がまだ残る北海道は開発する余地がまだあるとも言える。しかし、北海道に見える旅行者は花が咲き乱れ、鳥が生息する湿原を求めて旅をしているのも事実である。

サロベツ原野では、酪農家の安定した営みと、人の心を癒す景観の調和を模索する研究が懸命に続けられていた。(完)

望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。