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森と湖の国フィンランド(3)~夢と厳しい現実の展示物~
【北の国からのエッセイ】

2010年08月26日


北国の夏は短い。気温がもっとも高いのは7月下旬で、8月に入ると早や秋風が忍び寄る。私たちがタンペレを訪れたのはこの暑いときで、都心の緑が一番濃くなっている時期でもある。

街を歩くとその緑の街路樹が、ほとんど同じ種類の木であるのに気づく。セイヨウボダイジュ、日本で言うシナノキの仲間だ。とくに、10丁ほどある札幌の大通公園のような通りを、早朝端から端まで歩いてみたが、両サイドの街路樹はすべてボダイジュで、見事な景観をなしていた。(写真右)


セイヨウボダイジュはドイツ語でリンデンバウムである。中世ヨーロッパでは、リンデンバウムは「自由」の象徴とされていたという。
現在でも、ボダイジュはプラタナスと並んで公園樹、街路樹、記念樹として親しまれている。この時期、リンデンバウムは小さな丸い実をいくつもつけるが、果実とともに柄にへら状の特有の苞葉(ほうよう)をつける。(写真左)
なんともかわいらしい実である。


ムーミンワールド
タンペレは首都のヘルシンキや、ヘルシンキに遷都されるまでの首都トゥルクのような観光都市ではない。地味な工業都市だ。

そのタンペレが、ムーミンファンにとって憧れの地であるという。タンペレには世界で唯一のムーミン博物館があった。

ムーミンはカバに似た妖精のような架空の生物として登場し、直立歩行する。このムーミンを主人公にフィンランドの女流作家、トーベ・ヤンソンが小説や漫画を次々に発表した。愛嬌のあるムーミンは世界中にアニメや映画などでも紹介され、すっかり子供たちの人気者となっている。(写真右:博物館入口にたつムーミン像)

ところが、ヤンソンの描いたムーミン作品は子供向けとはいえ、その内容・雰囲気は決して明るいものではないことを、当地を訪れて知った。むしろ、登場人物は哲学的・詩的な発言を繰り返して、子供どころか大人でも理解しにくい描写がしばしば見られるという。ムーミンの醸し出す雰囲気は、ほのぼのとした世界ながらも、何かしらおどろおどろしい雰囲気もあわせ持つのはそのせいか。ムーミンは子供のように天真爛漫に思い切り表現できず、口をもぐもぐ動かした結果、カバのようなイメージになったのかと想像してしまう。

館内は残念ながら撮影禁止だった。

ムーミンはフィンランドのどこかにある妖精たちの住む谷、ムーミン谷に住んでいるとされる。そのムーミンの世界・ムーミンワールドが、フィンランド南部の都市トゥルクにあった。

トゥルクはスウェーデンの影響が強かった時代の首都で、日本の京都のような古都でもある。ムーミンが住んでいたとされる所は島だった。島全体がムーミンのテーマパークになっていた。島にはムーミンの家から洞窟・迷宮・劇場まであり、ムーミングッズであふれていた。

私たちがムーミン谷を訪れた時は平日であったにも拘わらず、家族連れから若いカップルまで詰めかけ、大賑わいだった。ムーミンはラップランドのサンタのおじさんと並んで、フィンランドの子供たちにどれほどの夢を与えていることだろう。

レーニンゆかりの地
タンペレにレーニン博物館があった。何ゆえこの地にレーニンの博物館があるのかと入ってみた。ロシア革命のリーダーであったレーニンは、革命が起きる10年前のほぼ2年間、タンペレに住んでいた。また、1907年のロシア革命の寸前のときも、迫害を恐れて当地に2カ月ほど隠れていたという。

さらに、ロシア革命前の1905年と06年の2回、タンペレに革命の指導者が集まり、タンペレ会議を開催している。このときレーニンは初めてスターリンに会ったという。そのタンペレ会議の建物が博物館となっていた。(写真右)

レーニンは革命前からフィンランドの自治を強く弁護して、フィンランドの独立を支持していた。そしてロシア革命のどさくさに、フィンランドの独立を認める歴史的な書類に、世界で初めてサインしたのがレーニンであるという。フィンランドにとってレーニンは、とても関わりがある人物であることを知った。(写真左:博物館入口のレーニン像と表札)

皮肉なことにフィンランドはその後、スターリン率いるソ連と戦うことになる。フィンランドは、スウェーデンからロシア(ソ連)、そしてナチスのドイツと、隣接する強国の狭間に浮き沈みしながら、かじ取りをして生き延びてきたようだ。
おそらく艱難辛苦の時代もあったに違いない。そして今日、福祉国家として、いまの繁栄につなげてきたということだろうか。

フィンランドの人口は北海道とほぼ同じ540万人、面積は日本よりやや小さい。元首である大統領も、行政の長である首相も現在女性であるという。

スパイグッズ
このタンペレにもう一つ興味深い博物館があった。

スパイ博物館である。なぜフィンランドにこうした博物館ができているのか不明だが、フィンランドのおかれた地理的・政治的状況が反映されているのだろうか。

かって労働者があふれた旧工場の一角に、スパイ博物館がある。その建物は現在レストランやパブなどの複合施設になっていて、通路が回りくねり、なかなか目的地に行けない。途中地元の2人に尋ねてようやく辿りつけた。いかにもスパイ博物館らしい。(写真右:スパイ博物館の入口)

博物館にはジェームズ・ボンドやマタ・ハリ、ゾルゲなど著名なスパイのプロフィールや、スパイが使った様々な道具が展示されている。無線機器から電子機器、これらを巧みに隠した腕時計やネクタイ、変装用かつらなども展示されていた。また、要人を殺害するために所有したピストルや小刀だけでなく、傘で殺害したスパイ道具なども展示されていて迫力がある。日本にいたら、映像の世界でしか登場しない数々のスパイグッズばかりだ。

このなかに、日本の戦国時代に活躍したスパイとして「忍者」が紹介されているコーナーがあるのに思わず苦笑した。(写真左)
忍者ハットリくんも立派なスパイだったのだ。

博物館には日本語の説明書があり、理解するのに大変役立った。

日本で暗躍したソ連のスパイ、ゾルゲは日本の官憲に摘発されて処刑された事になっている。ところがこの説明書にはそのように書かれていない。

「ゾルゲは絞首台から逃れることができたのか」

思わせぶりなタイトルで次のように記載されていた。

「ゾルゲが女好きであるという弱みを握った日本の官憲は、若くてかわいいダンサーを近づけ、ゾルゲがスパイであることをつかんで拘束した。しかしゾルゲは処刑されたのだろうか。噂によるとゾルゲは、ソ連に拘束された日本のスパイと交換されて解放されたのでないかという。」

情報が情報を呼ぶ、いかにもスパイの世界のようなコメントで締められていた。

ムーミン博物館からスパイ博物館、タンペレは小さな町にも拘わらず、いろいろな見どころがあった。加えて湖に囲まれた素晴らしい景観とあわせ、今日観光都市としても脚光を浴びているという。

私は当地に2週間滞在した。

訪れた最初の日の7月24日、都心の橋のふもとにあったナナカマドの実が、早くもうっすらと色づきはじめていたのにびっくりした。(写真下左)タンペレを離れる8月8日、同じ場所のナナカマドの実は、ごらんのようにすっかり赤くなっていた。(写真下右)

 

札幌でナナカマドがこれくらい赤くなるのは10月はじめで、季節は札幌より2カ月近く早い。ことしのヨーロッパは異常な暑さだったというが、8月も半ばを過ぎるとタンペレの市民は長袖を着込んでいることだろう。(完)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。