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秋の道東一巡り(2)~最東端の町・根室~
【北の国からのエッセイ】 2010年09月15日

根室は北海道の中では歴史の古い町である。

冒頭から歴史の話で恐縮だが、 黒船ペリーが東京湾に現れる60年も前の1792年、ロシアのラクスマンが日本人漂流民大黒屋光太夫らを連れて根室に現われ、通商を求めてきた。鼻提灯を作りながら太平の世を謳歌していた江戸幕府はびっくり仰天、蝦夷地を松前藩から幕府直轄の地とするとともに、間宮林蔵・最上徳内・近藤重蔵・松浦武四郎らに蝦夷地を含む北方の調査を命じた。

これらの人は歴史上探検家となっているが、平たく言えば江戸幕府の公費で出張を命じられたスパイである。この過程で間宮海峡を発見したとされる。(写真左:間宮林蔵渡樺記念碑・稚内2006年7月)

明治新政府が日本を完全に制覇した箱館戦争(五稜郭の戦い・明治元年~2年)直後の明治2年(西暦1869年)という極めて早い時期に、「開拓使」という国のお役所を作り、当時先住民族しか住んでいなかった北海道開拓に乗り出したのも、他ならぬロシアの南下政策を恐れたためであった。そして当時、日ロ混在で、どちらかというとロシア優勢であった樺太までは、主権を維持する国力はないと判断して樺太を放棄し、その代わり千島列島を日本の領土とした(千島樺太交換条約:明治8年/西暦1875年)

また、明治の中期に広い北海道を、一つで治めるのは困難だとして、北海道を3県に分離したことがある。札幌県・函館県・根室県で、それぞれに県令(現在の県知事)を置いた時期があった。釧路でなく根室県だった所に、当時の根室の重要さが伺われる。

近くに見える北方領土
その根室に入ったのは、台風崩れの低気圧が去った翌日だった。

私たちはまず日本最東端の納沙布(のさっぷ)岬を訪れた。快晴でしかも空気が澄んでいる。

納沙布岬灯台の手前ではコンブ漁船が朝早くからコンブを採っていた。(写真右) 
先端にかぎ型の金具がついた長い棒を巧みに操り、コンブを採っているのが手に取るように見える。

それだけではない。現在ロシアが実効支配している貝殻島灯台が肉眼ではっきり見える。そして灯台の周りには無数のコンブ漁船が漁をしている。多額の入漁料をロシアに支払って漁をしている日本漁船だ。まるで灯台の周りに群がっているアリのようだ。(写真左、手前は納沙布岬)

納沙布岬には何度も訪れているが、こんなによく見えたのは初めてだ。納沙布岬と貝殻島まではわずかに3.7キロ、海には線が引かれていないが、国境の厳しさと緊迫感が、灯台がはっきり見えるだけにつよく感じられた。

根室の原野に咲く野花
根室半島は長い。50キロはある。道の両側は原野だ。うらさびしい原野を通ると突然紫色の原野が眼に飛び込んだ。サワギキョウの大群落だ。(写真右)  急きょバスを止めてもらい、魅入られたかのように紫の絨たんの中に足を踏み入れた。路線バスやツアーバスでない、仕立てバスのもっともありがたいときだ。

紫色のサワギキョウ(写真左下) の他に、白のナガボノシロワレモコウ(写真下右)、黄色のハンゴンソウとハチジョウナも混じっており、これだけ大規模なサワギキョウの群落に初めてお目にかかった。夏の終わりは花が少ない時期だが、原野にはまだまだ秋の花が健在だ。

 

しばらく行くと根室十景・北方原生花園という看板があり、木道が敷かれていた。原生花園というと、オホーツク海の小清水原生花園がもっとも有名だが、北海道で人が住んでいない海岸はどこに行っても実質原生花園だ。学術的には「海岸草原」と言うらしいが、原生花園の方がお色気がある。

木道を歩くとぷ~んと臭うものがあちこちにある。馬のフンだ。この原生花園にはポニーが放牧されていた。(写真下) 普通の馬より小型のポニーは、さわやかな秋空の下で草を食み、健康な排泄物をあたりかまわず山ほど出していた。



 

原生花園にはいろいろな花が咲いていた。紫のエゾリンドウ(写真上段左)・ナミキソウ 白のウメバチソウ・ヤマハハコ(上段右)、黄色のコガネギク(下段左)・ヤナギタンポポ、朝露の残るピンクのハマフウロ(下段右)など木道を歩いても飽きない。私たちは観察を終えたバスの中で、いつも当地で観察した植物をチェックし、確認し合っている。根室原生花園で23種を観察した。

 
 


このなかにひときわ目立つ紫色の花があった。アメリカオニアザミである。自生のアザミと違って、鋭くて硬い刺を無数に持つヨーロッパ原産のアザミである。(写真左)  ちょっと触れただけでも飛び上るほど痛い。

ヨーロッパでは戦争中敵の前進を防ぐために、戦地にアメリカオニアザミを植えたと聞かされた。ほんとかなと思いながらも、この花が播かれた山地を匍匐(ほふく)前進はとてもできないとも思った。

北方原生花園でのフィールドワークを終えてバスに戻った私たちは、バスに乗る前に、マットの上で靴をぬぐうよう運転手に求められた。馬フンのついた靴でそのままバスの中に入ると、臭いが充満するためだという。

思わず口蹄疫の消毒液を浸みこませたマットの上を通る姿を思い出した。宮崎だけでなく、酪農王国・北海道でも口蹄疫が飛火したらかなわんと、この夏は牧場だけでなく、空港でも徹底した消毒作業が行われた。(つづく)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。