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秋の道東一巡り(3)~自然の宝庫 干潟・砂嘴~
【北の国からのエッセイ】 2010年09月17日
根室半島から知床半島にかけての海域は根室海峡といわれ、対岸に北方領土の国後島が横たわっている。この地域の北海道海岸は干潟や汽水湖、砂州などで特異な自然の景観が見られる地域でもある。

左の写真はスペースシャトル「エンデバー」に搭乗した北海道出身の宇宙飛行士 毛利衛さんが、はるか宇宙から送ってきてくれた北海道東部の姿である。

霧多布湿原センターに、壁一面に大きく展示されていた。道東の大湿原と原野が広がり、右端には根室海峡に面している海岸線が入りくんでいる。その根室半島の付け根に風蓮湖がある。海水と連動している風蓮湖から砂州が伸び、春国岱(しゅんくにたい)という広い干潟ができ上がっている。

野鳥の宝庫 春国岱
春国岱は交通不便な所にあり、一般の観光客はまず訪れない秘境の地でもある。

100種以上の野鳥の楽園となっていて、水鳥を保護するラムサール条約の登録地に指定されており、愛鳥家にとっては一度は訪れたい野鳥の聖地でもある。

鳥のことはよく知らないが、私もこれまで何度か訪れている。しかし、濃霧で視界が悪かったり、風雨が強かったりで、一度も春国岱の中に入ったことはなかった。
ところが今回は願ってもないピーカンである。干潟に延びる木道が延々とつながっているのに驚き、この上を歩いて行けることに胸がときめいた。(写真右)

ただ残念なことに干潟の主の鳥はいない。もしいたら遮るものがない湿地だけに、鳥の観察には最高だろうと容易に推測できる。
仲間に植物だけでなく鳥にも詳しい人がいた。曰く「1年を通じてもっとも鳥のいない時期なのですよ」

けれども干潟の上を闊歩するだけでも気持ちがいい。間断なくつづく潮の満ち干で、でき上がった干潟の景観がすばらしい。(写真左)


どこまで続くのかわからない木道を歩くと、立木が枯れている景観に出会った。この後に訪れようとする野付半島のトドワラと同じ景観だ。(写真右)
ただこの一帯の樹木はすべてアカエゾマツだ。

ここでも野付半島同様、地盤沈下によって樹の根が海水に洗われ、立ち枯れ現象が起きていた。私たちは木道をさらに進み、アカエゾマツの森に入った。そして目の前に現れた景観に息をのんだ。

波打っている地面がみなコケで覆われていた。(写真左) アカエゾマツの樹間には、すべてコケの絨たんが敷かれていた。京都の苔寺の比ではない。自然にできたコケの神秘的な造作である。

木道以外は立ち入り禁止ではあるが、苔の上にあがれば、ズブズブ沈むのではないかと思われ、木道からはみ出すのが怖いくらいだ。

根室海峡に面する北海道沿岸は、プレートが潜り込んで、日本でも最も地盤沈下が顕著な地域といわれている。いずれは海中に没する運命にあるが、その過程に生じた塩生湿地の植物群は、人間の造作を超える芸術品となって、その特異な姿を私たちにさらしていた。これらの植物群の運命はあと数十年と専門家は言う。

木道に沿ってお化けのような大きな葉が生えていた。芭蕉だ。(写真右)
この湿地帯は春先には、ミズバショウの群生地となっていたのだ。ここに可憐なミズバショウが咲くとは、想像できない。

ミズバショウのなれの果ての大きな葉、柔らかくて踏めばどこまで凹むかわからない苔の絨たん、それに木の墓標となった立ち枯れのアカエゾマツ・・・
春国岱は鳥がいない今の時期でも、魅力的な湿地帯だった。ミズバショウが咲くころにはぜひ訪れたいという衝動にかられた。

タンチョウのいない風蓮湖
春国岱を後にして、風蓮湖に立ち寄った。
湖面がどこまでも広がるヌボーとした海跡湖で、水深は平均1mと浅い。餌をついばむタンチョウが、いつも同じ場所で観察できるところである。(写真:2007年8月)

今回は残念ながらタンチョウはいつもの指定席にはいなかった。当地に来てタンチョウとじっくりご対面できなかったのは、今回が初めてだ。

生き物とお天気相手のフィールドワークは、なかなか思うようにはいかない。今回は車窓から双眼鏡で2回観察できたが、カメラに収めるにはあまりにも遠かった。

終戦の日
私たちは次の目的地の野付半島に向った。野付半島はつけ根から平仮名の「つ」の字を書いたように伸びる半島である。エンデバーが宇宙から送ってきた画像に「つ」がくっきり写っている。海流の影響で砂が沖合に向って伸びた距離は26㎞、わが国最大の砂嘴(さし)だ。

この日は対岸の北方領土の国後島が、とてもよく見えた。(写真右)
野付半島から国後島までは、わずかに16kmしか離れていない。

戦争が終わった8月下旬、旧ソ連軍の侵攻で故郷から逃れてきた元島民の多くは、根室から野付半島付近に住み着き、いつか故郷に帰れる日を待ちわびている。故郷を目の前にして、戻ることのできない元島民にとって、近くて遠いもどかしい距離となっている。

ところで太平洋戦争の終戦の日は、日本では8月15日である。戦争は8月15日で終わったと日本人は思っている。ところがアメリカやイギリスでは、日本が無条件降伏文書に署名した9月2日が終戦の日とされている。この事実は意外と知られていない。そしてロシアはというと、無条件降伏の翌日に行われた戦勝祝賀会の9月3日が終戦の日であった。

ところがロシア政府は今年から他の戦勝国と同じように、9月2日を「第二次世界大戦終結の日」と新たに定めた。そして北方4島では記念の集会が開かれ、その様子が旅先のテレビで放映されていた。

集会では軍隊のパレードや、銃をもって模擬演習が行われていた。北方4島はロシアのものだという強い意思表示が画面から感じとれた。

集会に参加したお年寄りの女性は「きょうは北方領土が永遠にロシアのものであることを祝う日です」とインタビューに答えていた。また若い女性は「日本人にとって北方領土は日本のものかもしれないけど、ロシア人にとってはロシアのものです」と話していた。

戦後60年、北方4島で生まれたロシアの若い人の故郷は北方4島なのだろう。

根室周辺にしがみつきながら島の返還を待ちわびている元島民は70歳をとうに超えた。島に向って「返せ!北方領土」と叫んでいる像が3年前に訪れた国後島の対岸、別海町にあった。(写真右)
今年の終戦の日に見られたロシアの強い姿勢は、最近北方4島に進出した企業や、公共事業の拡大の裏返しとも言える。これでは4島どころか、2島返還もままならぬかもしれない。

「ムネオハウス」が懐かしい。ムネオハウスの時代が、もっとも交渉の余地があった時代だったかもしれない。まもなく収監される当のご本人は、地道に築いた現地との友好関係が次第に遠のいているのをどのように思っていることだろう。

野付半島には2年に1回は訪れている。天候が悪ければ悪いなりに看板を見て、海の向こうに国後島があることを思い、天候が良くて島を目の当たりにすると、日本政府は一体何をしてきたのかと思う。野付半島と国後島は、まさに呼べば答える距離にあった。北方4島を合わせると、千葉県とほぼ相当する面積である。

木の墓場の野付半島
野付半島はすでに秋の装いだった。ススキが風に揺れている。(写真左)
ハマニンニクも揺れている。ただハマナスが元気にまだ花を咲かせていた。ハマナスはもう赤くなった実を付けているのもある。(写真下右)

ハマナスは6月ごろから開花する。開花時期は6月から9月と長い。その結果、片や花を咲かせ、片や実を付ける。ハマナスの強い生命力に恐れ入る。


どこの原生花園でも、ハマナスなしでは語れない。やはりハマナスは原生花園の女王だ。
ハマナスは「北海道の花」に指定されている。ハマナスの花弁は、先が恥ずかしそうに少し凹んでいる。これがハマナスの特徴だ。

潮かをる 北の浜辺の 砂山の 
かの浜薔薇(はまなす)よ 今年も咲けるや


石川啄木は北海道の海岸で、ハマナスをこう詠んだ。野付半島を訪れると、砂嘴をどんどん歩いて、どうしても立ち枯れの木のあるところまで歩いてしまう。(写真下左)

かってはトドマツの森だったが、海水に洗われて枯れ、トドワラになってしまった。こうした現象は野付半島特有かと思っていたが、今回初めて春国岱でも見ることができ、野付観光の専売特許でないことが分かった。

長い間風雪に晒された野付半島のトドワラは、すっかり鋭角的な角がとれて丸くなっており、昔のようなすごみはなくなった。それでも初めて見る人にとって、迫力のある「木の墓場」であることには間違いない。

この日はカンカン照りの中をよく歩いた。暑さは感じなかったが紫外線が強かった。ホテルでお風呂に入ると、半袖からむき出しとなっていた二の腕が赤くなっていた。
(つづく)
望田 武司(もちだ・たけし)
1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。