第1回夏合宿(関本・有馬塾) ⑧(8月8日)

始まりと終わり―戸塚洋二・東大特別栄誉教授

 1・2限目は、小柴昌俊氏を師にもつニュートリノ研究の第一人者、東京大学特別栄誉教授で、文化勲章受章の戸塚洋二先生が「始まりと終わり」と題して授業。
自然界を構成する①時間②長さ③温度(質量・エネルギー)の3つの「始まり」と「終わり」の有無について話した。
例えば時間の始まりは、宇宙が誕生したビッグバンの瞬間でおよそ137億年前。温度の始まりは、温度を決定付ける「分子の運動エネルギー」がゼロになる摂氏-273度など。その他、理論上の数値で、未だ立証されていないものはあるが、全てに「始まり」と「終わり」があることを紹介した。
戸塚先生は、「全て有限な感じがする。今の時論ではこうなる。(しかし)我々はまだ自然を完全には理解していない。例えば、光を超える速さはないのかとか、マイナスのエネルギーというのはないのか、時間の動きは逆転することはないのか、とか。ここで新しい法則が見つかると必ずやそれが現実の生活に跳ね返ってくる。まだまだやらなきゃいけないことがある。夢を持って自然の理解に努めたい。」と意気込みを語った。

 

 戸塚教授は、最後に友人でもあった天文学者のジョン・バーコール氏の「研究計画どおりに物事が進んでしまったらそんなにつまらないことはない。そうではなく最も重要なことはまだどう質問していいのかわからない想像もできないようなことに答えを出すことなんだ。」という言葉を紹介。研究とは、わからないことへの挑戦なのだということを強調していた。

 

 中学生へ話をするのは初めてだった戸塚先生は、この日の授業に備えて、中学1・2年生の理科の参考書を読んだという。塾生達がまだ習っていない言葉をなるべく使わないようにするなど、難しい内容をわかりやすく話していた。

 

20世紀の日本人物理学者は活躍した―有馬塾長

 3限目は、元東京大学総長で元文部大臣の有馬朗人・塾長の授業だった。
冒頭、「私が、『日本人は独創性がある』と言ったところ、皆さんの中に『先生、教科書を見ても日本人は全然出てこない』」という質問があった。」ことに触れ、世界的な日本人物理学者の活躍を取り上げた。

 

<京都帝大同期の二人のノーベル賞学者>
湯川秀樹氏
1932年に、原子核を構成する素粒子、中性子が発見された。
ところが、原子核を構成する別の素粒子、陽子と中性子は反発しあう性質を持っていた。では、どうして陽子、中性子は原子核の中におさまっているのかということが議論になった。
そんな中、湯川氏は1935年に2つを結びつける物質「中間子」の存在を予言した。これが、世界の物理学者の「力」の概念を大きく変え、1935年、日本人初のノーベル賞者となった。

 

朝永振一郎氏
また、有馬氏が「(京都帝国大学で)湯川氏と同じクラスにいた大天才」と紹介した朝永振一郎氏は、量子力学の分野で、電子の質量の新しい計算方法、「繰り込み理論」を発表しノーベル賞を受賞した。

 

 有馬先生は、「面白いことにこの二人のように一人偉い人が生まれるとその仲間からも偉い人が出る、ですからみなさん友達は大切にしてくださいね。いい意味での、あいつに負けるかという競争心をもって下さい」と切磋琢磨の必要を強調した。
この他、陽子崩壊の観測から一旦方針を変えニュートリノの観測に成功したノーベル賞学者、小柴昌俊氏、原子の構造を突き止めて、ノーベル賞を受賞したラザフォードより10年も早くに構造を予言していた、長岡半太郎氏の功績も紹介した。

 

塾生に、身近なことへの気付きを―古田・立教新座中学校、高等学校教諭

 4・5・6・7限目の実験は、立教新座中学校・高等学校の古田豊先生。
「私は教師なので、身近な現象で子供が気がついていなかったことに気付いていくような授業がしたい」と言っていた古田先生は、「定規をティッシュでこすって、植物など、身の回りのものに近づけたらどうなるか」など、学校の授業ではやらない実験を体験させた。
塾生は、定規を、植物の葉や髪の毛、ホコリ、シャープペンシルの芯など、さまざまなものに近づけ、反応を観察した。
「お、今(葉が)すげえ動いた!」「ホコリがバウンドしました!」
塾生達から大きな声が上がった。

 

 8限目は、全国中学校理科研究会会長で東京品川区立荏原第2中学校校長の、中村日出夫先生が講話した。
そこでは、「木の年輪から何が分かるか」など、日本学生科学賞を受賞した研究作品の例を引きながら、科学の分野では「研究の動機」というものがきわめて大切であることが強調された。
※「スーパー先生と子どもたち」(2006年)の記事を事務局にて再編。再収録しました。
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