「福島の経験を未来へつなぐ──災害時に必要な支援とは」坪倉 正治 福島県立医科大学 放射線健康管理学講座 主任教授

3日目1時限目は、東日本大震災の発生直後から福島の医療支援に携わり、診療に加えて研究、住民への説明会実施など多角的に災害医療に尽力されてきた坪倉正治先生の講義です。

坪倉先生のお話は、ベーシックなサイエンスから始まり、福島第一原子力発電所事故の話へと繋がっていきました。
2010~2011年生まれの塾生たち。生まれていた人も、まだ生まれていなかった人もいる時期に発生した東日本大震災。坪倉先生は、震災直後から現地の病院に入り、地域の人の健康を守る医師として活動されました。

2011年3月11日、東日本大震災が発生。そして、3月14日の原発事故後には避難指示区域内への人や物の流れが制限されます。「放射性物質が飛び散っている地域に、皆さん行こうと思いますか?あるいは家族を送り出せますか?」という問いかけに静まり返る塾生。当時、福島がどのような状況に置かれていたのか、想像させられました。

また坪倉先生は、バスによる市民の避難が始まった頃の一枚の写真を見せ、「これを見て変だと思うことはない?」と問いかけました。そこには、バスに乗って避難できた人は自分の足で立って歩ける人たちばかりで、足腰の弱い人たちは取り残されやすいという現実がありました。坪倉先生は「災害は社会の弱い面をあぶりだす」と伝えます。

さらに坪倉先生は、事故後の健康調査も続けてこられました。そこで分かったことは、原発事故による被ばく量は、それが直接の原因で健康被害を及ぼすことは考えづらいレベルであったが、災害関連死に繋がりうる精神面や慢性疾患のケアに大きな課題があったこと。現在、先生は、放射能の影響を不安に思う住民に丁寧に説明する地道な活動を続けつつ、緊急時の医療課題の解決のために動いているそうです。

日本の災害関連法律は、若者の割合が高かった頃に制定されたものが多く、現在の状況には不十分な部分もあります。だからこそ、過去の災害で起こったことをデータとして収集し、ルールも改善していかなければなりません。坪倉先生は2024年に震災があった能登にも出向き、現場からデータを集め、次なる災害に向けて行政や各団体と協議されています。

医療者として働きながら、過去の出来事からエビデンスを集め、未来の社会のために還元する。そんな生き方をする坪倉先生のお話に聞き入る塾生たちでした。

(13期 安田百合香)