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19世紀末科学の困難:光の科学
【今日のひとこと】 2008年3月18日

20世紀は物理学の世紀と呼ばれる大変な科学技術の進歩がありました。まさに怒涛のような勢いでした。その基礎となったのは、量子理論と(特殊)相対性理論です。このような常識を覆すような新しい法則は、数学のように人の頭脳の中で作られたものではありません。19世紀末、身近にある現象をよく観察してみると、今までの考えではどうしても説明できない現象が見つかったのです。科学者は、それらの観測事実をなんとか(数学的に)説明しようと大変な苦労を重ね、ついに新しい法則を発見しました。

19世紀末の科学者を最も悩ませたのは、光の振る舞いでした。

のぞき窓を通して溶鉱炉や陶磁器を作る窯の内部を見ると、中の温度が高くなるにつれて、中の光の色が赤から白色に変わっていくのが観察されます。また、石油や薪を燃やすダルマストーブの外側が、温度が上がるにつれて赤く光ってくることも同じ現象と考えられています。

溶鉱炉は厄介ですから、瀬戸物などでできた坩堝(るつぼ)を用意します。るつぼの口は小さく、中がやっと見えるくらいにします。中に何も入れないで、るつぼを加熱していきます。加熱している間、るつぼの口からなかを覗いて見ましょう。温度が低い時、中は暗くて何も見えません。温度が数百度になると、内部は赤く光り始めます。つまり赤熱します。さらに温度を上げていくと、内部の色は赤から黄色へ、さらに白く光り輝きます。白熱状態ですね。

つまり、るつぼを加熱すると温度は上がっていき、るつぼの内部は光で満たされるとともに、その色は赤から黄色、白へ、さらに青から紫外線にまで変わっていきます。

皆さんは、こんなこと当たり前の現象じゃないのと思いませんか。当時の人々も当たり前のことだとあまり深く考えませんでしたが、科学者はこの観察結果に長い間悩まされてきました。

光は波だと言うことを理科で勉強したと思います。光が波だとしていくら研究しても、るつぼの温度と光の色の関係を理解することが出来ませんでした。

20世紀の幕開けとなる1900年、マックス・プランク博士によって、この問題はとうとう解決されました。しかし、プランク博士は、新しい理論を作るために、どうしてもびっくりするようなアイディアを入れる必要がありました。つまり、「ある色の光は、ある決まったエネルギーを持った小さなツブツブ(の光)がたくさん集まったものだ。光は波ではなく粒子だ。」というものです。

これは革命的で、常識とまったくかけ離れた考えでした。多くの科学者はびっくりし、あらためて光を詳しく観察しました。そして、プランク博士の理論は、確かに光の振る舞いを正しく表すことを発見したのです。

「光は粒子」ということを難しい言葉で「光は量子」と言います。小さな基本的なエネルギーがあって、光のエネルギーはその基本エネルギーの何倍(大変大きな数)かになっている、ということを表します。つまり、量としてエネルギーを考え、基本の値が大変小さいので「子」という文字を使って表したのです。

20世紀のはじめ、多くの天才科学者はこの量子の考えを発展させ、ついにまったく新しい「量子理論」を打ち立てました。

量子理論は、物質のあらゆる振る舞いを説明することが出来ました。半導体の理解からトランジスターが生まれ、さらにICが発明され、そしてコンピューターが作られました。化学の反応も量子理論ですべて理解でき、自然にない新しい物質を作ることが出来るようになりました。
(戸塚洋二・東大特別栄誉教授、文化勲章)