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日本と英国の「親切」の違い
【今日のひとこと】 2008年5月28日

山登りが趣味の友人が、下山中に足をねんざしました。健脚が自慢の彼女ですが、帰る途中にどんどん痛みが強まり、途中で車いすを借りて家にやっとたどりついたのだそうです。

彼女はある研究所の所長を務めており、ねんざ程度で仕事を休む訳にはいきません。生まれて初めての車いす生活で発見したさまざまなことや感想を、長いメールにして送ってくれました。

部屋から外に出るだけでも、わずかな段差を超えられず、誰かの助けが必要なこと。仕事場まで送り迎えを頼むタクシーの運転手さんが、意外に車いすの扱いに慣れていること。鉄道を使うときは一苦労で、前日までに「何時何分の何という電車に乗ります」と、駅側に知らせておかなければ、駅側が対応できないこと。しかも、車両によってホームと車体とのすき間の大きさに差があるので、それを連結するスロープをそのつど変えるなど、大変な手間が生じるのだと彼女は教えてくれました。

「けがをして初めて、人の親切が身にしみた」と彼女は感激したようです。一方で「ちょっとそこまで出かけたいということができないし、はれ物にさわるような扱いをされる」ともつづっていました。

相手を思いやる気持ちは日本人も持っていますが、それを行動に移すかどうかについては外国人の方が上手だなと私は思います。例えばロンドンの地下鉄は階段だらけで不便きわまりないのですが、足が不自由な人がいれば誰かが手を貸しますし、乳母車のお母さんがいれば、立ち往生する間もなく、前後の人が乳母車を抱えて階段を移動します。重いスーツケースを持った旅行者も、こうしたさりげない親切に助けられます。

理想は、誰の手も借りなくていいぐらい設備が整うことですが、それがない場合、「完ぺきな安全」を求めて専門の職員が対応するのが日本、それより近くにいる人たちで助け合うのが英国です。

あなたはどちらの方が好きですか?
(元村有希子・毎日新聞科学環境部記者=ロンドン留学中)