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IBOは楽しい!
【今日のひとこと】 2009年8月18日

国際生物学オリンピック(IBO)つくば大会に、たくさんの塾生の皆さんから応援をいただき、本当にありがとうございました。おかげさまで、銀メダルを獲得することができました。金メダルに届かなかったのは実に残念でしたが、やれることはやりましたので悔いはありません。なによりもIBOの8日間は想像以上に楽しくて、参加してよかった!と心から思いました。

IBOつくばの期間中、僕たち選手はどんな毎日を過ごしていたのか、簡単にご紹介したいと思います。IBOの楽しさを少しでも感じていただけたら嬉しいです。

1日目(7月12日)選手団到着
各国の選手がつくば国際会議場に入り、選手登録をしました。僕たち日本チームは昼前につくばに着いたのですが、すでに外国人選手団がたくさん到着していました。外国人選手と出会った第一印象は、「選手なのか引率の先生なのかわからない!」ということでした。外国の(特に欧米の)選手は本当に大人っぽくて、僕たちより10歳くらい上に見える人もざらにいました。

選手登録の際には、選手全員が携帯電話を預ける決まりとなっていて、これ以降は家族とも引率の先生方とも連絡は取れなくなりました。(非常の場合は別です)。そのかわり、筑波大学のボランティアの学生の方が「チームガイド」として各国選手団について、案内をしてくださいました。僕たち日本チームのガイドは、鈴木さん(女性)でした。

そのあと宿舎の「二の宮ハウス」に入りました。僕たち日本チームの男子2名は、イギリスチームの男子2人(超イケメンでエネルギッシュなJoeと日本通で知的なTed)と同室でした。二の宮ハウスは、家族と一緒に長期滞在する研究者のための宿泊施設なので、ホテルと違ってゆったりしていてとても良かったです。二の宮ハウスには、自習室が備えてあり、また中庭や卓球場もあって、暇なときにはいろんな国の選手たちが、そこでしゃべったり遊んだりしていました。

同室のTed、Joe(イギリス)と
二の宮ハウス中庭でアゼルバイジャンのNihatと
(彼はなんと14歳だそうです)

2日目(7月13日)開会式・ウェルカムパーティ、試験会場下見
開会式で。賢そうなインドチームと
開会式と、それに引き続いてウェルカムパーティが盛大に行われ、華やいだ気分が盛り上がりました。民族衣装を着ているチームも多く、各国ともお国柄をアピールしていました。日本チームはスーツなので、ちょっと印象が薄いような気がしました。やはり着物で登場した方が良かったですね。

秋篠宮文仁殿下・紀子妃殿下がお出でになり、僕たち日本チームはお言葉を賜って緊張しました。「創造性の育成塾」塾長の有馬先生も出席されており、僕がお会いした時に「育成塾のやつらをまた鍛えてやってくれよ」とおっしゃったので返答に困ってしまいました。

午後は、筑波大学での試験会場下見があり、ちょっと緊張感が漂いました。

3日目(7月14日)実験試験
実験試験では、4グループに分かれて4つの課題を行いました。生物の場合、実験材料や器具がいろいろ必要で、221人が一度に同じ実験をするのが難しいので、それぞれの課題を実験する部屋をグループごとに順番に回るというシステムになっています。グループごとに実験着の色(青、黄、緑、白)が変えてあり、全ての実験が終わるまで他のグループと出会うことはありません。選手は1国あたり4人(リヒテンシュタインを除く)ですので、同じ国の選手は全員別々のグループとなります。

国名のABC順で並ぶので、僕の両隣はいつもイタリアチームの陽気なハンサム男Micheleと、カザフスタンチームの穏やかなお姉さんNazymでした。課題が終わるたび、近くの席の人たちで「難しかったね」とか「あそこの答えなんだった?」とかおしゃべりしてました。

ある課題が終わったとき、イランチームのAryaが「どうだった?」と聞いてきました。僕が「難しくて、時間が足りなかったよ」と言うと、Aryaは「僕は一通りはできたけど、2回目の見直しが十分できなかった」と言ってたので、きっとできる人だなと思っていると、表彰式で彼は金メダルを獲得していました。やっぱりなあ。

夜は「折り紙ナイト」という催し物があり、「折り紙名人」の方やボランティアの筑波大学生さんらが選手たちに折り紙を教えてくれました。僕も唯一折れるツルを教えてあげようとしましたが、「ツルはもう知ってる」という選手が多く、あまり役に立ちませんでした。

4日目(7月15日)エクスカーション
JAXA、茨城県立自然史博物館、AISTに見学に行きました。翌日にまだ理論試験が控えていたので、みんなゆっくりと楽しんでいました。

5日目(7月16日)理論試験、つくばナイト
実験試験のときもそうでしたが、選手たちは普段は冗談を言い合ったりして陽気ですが、試験になるととても真剣で、緊張感がみなぎります。さすが、それぞれの国を代表する人たちです。試験は「チーン」というベルの音で始まるのですが、ベルの音が鳴ったらすぐ解き始められるように、問題の入っている封筒を開くテープに手をかけてスタンバイしている選手もいました。終わりのベルの音が鳴ったあと、止められるまで必死に書き続ける選手もいました。開始直前の張り詰めた空気の中で、「今、僕は、世界56カ国を代表する人たちと真剣勝負しているのだ」と嬉しくなりました。

つくばナイトで
左から、インドネシア、キルギスタン、日本(2名)、キルギスタン、ウクライナ(2名)、日本
全ての試験が終わったあと、イタリアの陽気なMicheleが「最後のほうは時間が足りなかったから、全部Aにしたよ」と言っていたので、「えっ、全部Aにしたの?」とびっくりすると、「考えてみろよ、ABCDEABCDE・・・とするより、AAAAA・・・のほうが当たる確率が高いだろ?」と言ってみんなを和ませてくれました。たぶん、どちらでも確率は一緒じゃないかなあと思いますが。



夜には、「つくばナイト」という催し物がありました。よさこいや太鼓などの地元のグループの方々がパフォーマンスしてくださって、外国の選手たちもノリノリで踊りまくっていました。(YouTubeに動画があります→こちらから)。みんな、試験が全て終わった開放感ではじけていました。

6日目(7月17日)エクスカーション
日光で。左から日本、カザフスタン、日、カザフ(Nazym)、日。よく似てました
日光に行きました。僕も日光に行くのは初めてなので、普通に楽しみました。「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻の前では、ほとんどの外国の選手がそのポーズで写真を撮っていました。

昼食はうどんと稲荷ずしなどの定食で、つくばに来て初の日本食でしたので、僕たち日本チームは思わず「うまい!」と感激しました。外国の選手たちにも意外と好評で、お箸の使い方がうまい人も多く、日本食が世界でポピュラーになってきているのだなあと実感しました。

晩は、たくさんの人たちが中庭に集まって遊びました。ちょうどその日がスウェーデンチームのYahiaの誕生日で、IBOスタッフの方からケーキのプレゼントがあり、みんなで「Happy Birthday to You!」を歌ってお祝いしました。IBOつくばのボランティアスタッフの方が、前もって選手たちの誕生日を調べて用意してくださっていたそうです。粋な計らいだなあと感動しました。

僕が持っていった寿司トランプは、外国人にたいへん好評で、盛り上がりました。ナイジェリアチームのEdiは「この寿司ネタ知ってる!」と連発していました。もうsushiは世界の共通語ですね。

ちなみに、僕が持っていった外国人選手へのお土産は、寿司消しゴム、十二支手ぬぐい、灘高せんべい(瓦せんべいに僕の学校の校章が焼き付けてあるもの)です。全部たいへん好評でした。せんべいは、意外にもイタリア人もフランス人も「うまい!!」と言っていました。イタリアの例のMicheleにあげたところ、「僕の親父にも食わせてやりたいから、もう1つくれないか?」と頼まれて、あげました。

7日目(7月18日)エクスカーション、閉会式・フエアウェルパーティ
閉会式で。派手な衣装の韓国チーム。特にWoo Jin(左)は、韓流スターのようでした
いよいよ閉会式、みんなメダルのことで頭がいっぱいです。

そして運命の表彰式。まず、メダルの数が発表され、そのあと銅メダルから順に発表されました。メダルを獲得した人の中で、下の点数の人から順に発表されるので、「まだ、呼ばれたくない」と祈りながら、発表を聞きました。



僕たち日本チームは、銅メダルでは誰も呼ばれずに無事に通過し、いよいよ銀メダルの発表となりました。銀メダルは1回に6~7人の名前が発表され、銀メダリストは46人ですので、7回の発表の中で呼ばれなければ金メダルということです。

その6回目の発表で「From Japan・・・」とコールされました。日本チームでまだメダルが確定していなかったのは、僕と大月さんだけでしたので、「Ryotaと呼ばれろ!」と念じましたが、残念ながら「Atsuhito Nakayama」でした。

しかし、壇上に上がると、たくさんの外国の選手が大きな声援を送ってくれたので、すごく嬉しくなって、バンザイして声援に答えました。

日本チームのガイドの鈴木さん(左)とJuryの中島先生(右から2番目)と
僕の結果は34位、あと12人抜かなければ金メダルには届きませんでした。でも、今年は日本チーム全体で金1、銀3、しかも銀の中でも34、38、43位と上位だったので、国別順位は去年の17位から6位に急上昇して、先生方も喜んでおられました。僕も少しは貢献できたかなあとほっとしました。

その晩は、最後の夜ということで、徹夜する人が続出しました。僕ももちろんその1人です。屋上へ布団を持っていって寝ている人も多数いました。僕も、夜中にパキスタンチームの人とそれぞれの国での代表選考の仕方や勉強方法について語り合ったり、朝5時ごろに、スウェーデンチームとスイスチームと卓球したりして、最後の夜を楽しみました。朝方、屋上に行くと、柵の近くで眠っていたラトヴィアチームのAdrijaが屋上から落ちそうで危なかったので、あわてて起こしましたが、「別に危ないと思ってなかったけど・・・」という返事で、ラトヴィアではこれが普通なのか?とびっくりしました。

そして、つくばでの最後の日を迎えました。

8日目(7月19日)選手団出発
いよいよお別れのときが来ました。僕たちはホスト国の選手として、二の宮ハウスの玄関で、選手たちの出発を見送りました。

楽しかったIBOの日々はもう過ぎ去りましたが、今も知り合った人たちとの交流は続いています。インターネットのおかげで、たくさんの人たちとメールや写真のやり取りをしていて、とても楽しいです。将来、あちこちの国際学会や留学先でIBOつくばの仲間たちに出会えるかもと思うと、今から楽しみです。

僕の体験から1つだけアドバイスするとすれば、外国の選手たちと話したり、遊んだり、共感しあうには、やはり英語力がある程度必要です。日本代表になってから英語を勉強するなどということは、時間的にとても無理です。英語の勉強は今のうちからしておくことをお薦めします。

皆さんもぜひ科学オリンピックに挑戦して、この楽しさを味わってください。

早朝の屋上で
左から日本、ギリシャ、アゼルバイジャン、パキスタン、パキスタン、ラトヴィアの選手たち
(中山 敦仁【1期塾生】)