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割り切れないということ |
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皆様、あけましておめでとうございます。
今年は待望の春季総会・同窓会も開催されるということで、今から胸踊っています。
さて今回は「割り切れないということ」というテーマで、私が最近考えたことを書きたいと思います。
あの震災から10ヶ月が経ちました。あれからこの星のさまざまなところで、援助と祈りが東の小さな島に向けてなされました。しかし、極東の先進国の不幸とそれに伴う多くの事故と事実は、各国の人々が現代の生活に疑問を呈するきっかけともなりました。
環境問題やエネルギー効率の問題を解決してくれるはずだった「最後の要塞」は、打ち寄せる波の大きさと内側の脆さによって一触即発の爆弾と化してしまいました。国のすべてを担う石造りの荘厳な会議場の中では、やれ協力しろ、やれお前が辞めろと青筋たて、見ているこっちはため息一つ・・・。世界の国々では、今までの「エネルギーの救世主」を本当に当てにしていいのか、切り替えなければ大変なことになるのではないか、という議論が多くなされました。
ここで私たちが考えなければならないのは、どうにも「割り切れないことがある」ということではないでしょうか。
次から次へと出てくる問題点や疑問点、衝突。沢山の学者や専門家がかかっても、出る結論は皆違う。これは言葉や数式や予算ではどうも「割り切れない」ことなのではないでしょうか。
いくら解決の糸口を見つけても、さらにほつれが見つかるばかり。だからといって、「じゃあ、やめた」といってそのことをお座成りに次のことへと進んでいいのでしょうか。今まではそうしてきました。それがこの国の「方針」であり「マニュフェスト」だったのです。
しかし、今回ばかりはそうも行きません。今、問題から目を背ければ、この世に生を受けた何者かがその命を危険にさらさなければならない状況になっています。私たちは「割り切れないこと」を放って置くのではなく、「割り切れないこと」があるということを「知って」議論に取り組むべきではないでしょうか。
塾生の皆様は、科学や数学などのこの世界が動いていくうえでとても大切なものを学ばれていることかと思います。
その中で大切なのは、公式を沢山知っていることや知識が多いことではなく、この世は「割り切れないこと」で満ちている、ということを知っていることではないでしょうか。
年の初めに私が感じたことです。長文で失礼しました。
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(山邊
恵介・5期塾生) |
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