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第3回「創造性の育成塾」夏合宿レポート2 8月4日(月)
【夏合宿レポート】 2008年8月04日

講義スタート、利根川進博士など、豪華講師がずらり

晴天に恵まれ、富士山もきれいに見えた4日。
「創造性の育成塾」の有馬朗人塾長が、今年の参加塾生49名と初めて対面し、冒頭、「皆さん、生物は好きですか?今年のテーマは『生物』です。今回は全国の生物好きの人が集まりました。しっかり勉強して世界をリードする人になってください」と開塾の挨拶をしました。

その後、早速、有馬先生による1時限目の授業。
内容は、有馬先生の専門である、物理。

1時限目「20世紀の物理学の発展~マクロの世界からミクロ世界へ」
有馬朗人・元東京大学総長、現科学技術館長

物理学の歴史として、20世紀にウイルス・分子・原子・原子核・陽子・クォークと、より小さな物質が認識されてきたことを紹介し、現在は更に小さな物質として、ウルクォークというものがあることも紹介しました。
また、「古典物理の完成とほころび」というテーマで、20世紀の物理の歴史に触れました。
「日本の科学技術の独創性は東大が創設された20世紀になってから」と話され、日本の物理学の代表的な人物として、長岡半太郎の原子核と電子の土星モデル理論や、湯川英樹の中間子理論などの研究も紹介。
時間ぎりぎりまで講演をし、「質問は閉塾式で受付ます」と塾生に約束し、今日から始まるたくさんの授業を前に、塾生を励ましました。

2・3時限目「私が歩んだ道」
利根川進・ノーベル生理学医学賞受賞者
今回の夏合宿のテーマ・生物学の、最大級の栄誉であるノーベル賞受賞者・利根川進先生の授業。利根川先生は、「私が歩んだ道」というタイトルで、幼少の頃の話から、ノーベル賞を受賞し、そして最近の研究の紹介に至るまでを話しました。

富山、愛媛で幼少期を過ごした利根川先生は、「小さい頃の記憶は、とにかくよく遊んだ。中学3年で東京に出て、大学に入ってからも、科学者になるつもりはなかった」と、振り返りました。

「大学で進路について悩んでいるときに、フランスの学者が書いた論文を読んで、自分のやりたいことが見えてきた」と話す利根川先生。その論文の内容が、当時はまだ新しい学問分野であった、分子生物学でした。

それまでの生物学は、観察によって分類することで生物に対する理解を深めていく学問でしたが、「分子生物学は、“形態が違う”ということだけでなく、そこに分子の相互作用がどう関係しているのか、生きているものと生きていないものの違いはどこにあるのか、生物の根源はどこから来ているのか、そういったことを証明していく学問。化学、物理学を利用して、生物学を研究する、科学と生物を結びつける学問なのではないかと、大きな興味を抱いた」と、そのきっかけを語りました。

しかし、当時、分子生物学を学べる大学院が日本になかったために、アメリカへ留学。簡単に留学ができる時代ではなく、学校の先生の紹介、援助があって実現した留学で、語学に関しても熱意を持って勉強したことなどを紹介し、「はっきりした目標があれば力が出せる。人はみんな何かに強い興味を持っているけれど、なかなか気づかない。自分のやりたい方向へ進むことが大切」と塾生に向けて強調しました。

7年間1度も日本に帰らずに分子生物学の研究に没頭した利根川先生は、奨学金やビザの関係でアメリカを出なくてはならず、スイスのバーゼル免疫学研究所に在籍することになりました。この研究所で、抗体・抗原の研究に取り組んだ利根川先生は、「今までの研究をもとに問題に向かったら、解くことができた」と、「膨大な種類の抗体が作られている仕組みは、抗体を作り出す遺伝子が、組みかえられて使い回しされている」という、自身の発見内容を塾生向けに、トランプを例に抗体の組み合わせの原理を説明。ノーベル賞受賞の研究内容をわかりやすく解説しました。

抗体の研究を10年間続けた利根川先生は、その後「免疫学は既に完成しつつある」と、マサチューセッツ工科大学で、脳のメカニズムの研究に移り、現在も脳研究に全力を注いでいるとのことでした。

塾生に向けて、「研究者になるのは大変だけどおもしろい。何か新しい発見をすると、人類の誰も知らないことを自分だけが知っているという興奮があり、この興奮は何にも代えがたい。研究者になってよかったと思う」と、自身の研究を振り返り、語りました。

塾生からの、「子ども時代に自由に遊んだことは役に立ったか」という質問には、「将来自分で自分をコントロールし、好きなことをして生きていくために、小さい頃からある程度自由で知的な環境があると良いのではないか」と答え、また、「ノーベル賞をとり、有名な科学者になってからも研究を続ける原動力は何か」との質問には、「ノーベル賞をとりたくて研究していたのではなく、自分の疑問に対して、どうしても解きたいという気持ちがあった。まだまだ、やりたいことがいっぱいある。おもしろいと思っているから研究を続けている。人間は、おもしろいからという理由で何かをやるときに、最大限の力を発揮する」と、数多くの質問に、授業のあとにも丁寧に答えていました。

4・5時限目 「“病”を防ぐ体のしくみ」
岸本忠三・元大阪大学総長

利根川先生と同じく、「研究がおもしろくてやっている」という岸本先生。今日は、小児麻痺がウイルスによるものだという発見の紹介から入り、抗体の過剰反応で起きるアナフィラキシーショックやアレルギーに対して、長い歴史の中で、何回も成功と失敗を繰り返して、研究が行なわれたことを話しました。

「医学の良い研究というのは、病気の本体(原因)を見つけること」と言う岸本先生は、「たくさんの時間をかけて、これだけのことがわかってきた現在でも、アレルギーなどは治す方法が分からない。それだけ人間の体というのは複雑」と、その研究の難しさも併せて紹介しました。「20世紀前半の医学の研究は、病気の原因となるばい菌を見つけること、50年代ごろの研究は、ウイルスを見つけること、後半の研究からは、遺伝子を見つけること、とその中心が変わってきた」と簡単に歴史を解説。

「何が異常で、何が正常かは、時代によって違うから分からない」とした上で、ES細胞や、iPS細胞など、最新の研究内容にも触れ、最後に「知識というのは発見の上に発見が積み重なって進歩し、画期的な科学技術も生まれてくる。しかし、知恵は一世代限りで積み重ならない。知恵と知識が剥離すると、現代で言えば代理母の技術によって、祖母が孫を生むなどの予想もしなかったことも起きる。“いのち”を扱う科学技術において重要な課題は、“知恵”と“知識”の融合です」と自身の考えを話しました。

医学という、専門的な分野のお話でしたが、塾生は「難しかったけど、学校では受けられない授業。おもしろかったです」と感想を話していました。

6時限目 「卵から親へ-ヒトやオタマジャクシの体はどうしてできるか」
浅島誠・東大副学長、日本学術会議副会長
カエル、イモリの研究を続ける発生生物学の権威、浅島先生は、イモリやカエルとヒト、マウスの発生過程は共通のシステムであることを説明しました。

また、脊椎動物には、すべて未分化細胞があるということ、脳の未分化細胞も刺激すれば活性化させられること、さらに、世界の学者が探していた未分化細胞を分化させる誘導物質としての蛋白質、アクチビンAを自ら発見(1989年)したこと、このアクチビンAの濃度を変えることにより、筋肉、心臓などの臓器を作り出す事ができること、など、衝撃的な話を展開しました。塾生たちは初めての話に接し、興味深く聞き入っていました。質問も多く、講義を終え、教室を出た先生の控え室で質問をする塾生もいました。

最後に、浅島先生は科学を学ぶ際の5つのアドバイス
(1)自然に学べ―彼らが先生である
(2)Passion(情熱を超えた熱情)を持って取組め―自分の研究として捕らえ、努力せよ
(3)物事には順序がある―確実な技術の習得とResearch Firstの精神
(4)予測した事実に反する結果が出たら見逃すな―大きな発見の糸口がある
(5)オリジナルな研究をし(内容、方法など)、結果が出たら論文を書け、常にノートに記録しなさい
を塾生たちに贈りました。

7時限目 「シリコン管でつくる心臓のモデル」
山口晃弘 品川区立小中一貫校日野学園 主幹
今合宿初めての実験授業。今回のテーマは心臓です。

私達のからだを動かしている心臓の役割を復習したあと、山口先生が持ってきて見せたのは、この実験のために用意した牛の血液と、豚の心臓。豚の心臓には、一人一人ビニール手袋をして、実際に触れてみました。心室や血液の流れがはっきりと分かるそのつくりに、塾生は声を上げたり、感心したり。そのつくりをより深く理解するために、シリコンで心臓を再現しました。

この授業では、1、2期の塾生があらかじめ自分達の分を制作。6つに分かれた班に、一人ずつヘルパーとしてつきました。大小さまざまなシリコンの管を切り、ポンプのしくみにする作業でしたが、正確でないと、完成しても水が出てこなかったりと、なかなか難しい様子。塾生は、先輩に教えてもらったり助けてもらったりしながら、真剣に取り組んでいました。

ポンプ部分を握ったり離したりして、水が吸い上がり、反対側の管から出てくれば完成。各班からは、先輩の塾生と共に、「出た!」という歓声と、笑顔が見られました。

8時限目 「私たちの生活と経済」
塩川正十郎 東洋大学総長、元財務大臣
今日は朝からずっと生物学の話を聞いてきた塾生たち。夜は、元財務大臣の塩川先生により、「私たちの生活と経済」という少し違った角度からのお話でした。

塩川先生は、経済の視点から、
(1)日本の国が繁栄する基盤
A.平和で安全な国―外国との付き合い
B.経済成長の政策―市場原理と人材育成


(2)日本の現状
A.官尊民卑の弊害除去
B.構造改革―規則見直しと習慣を改革
ということを中心に話しました。

「日本のGDPを現在の1%前後から3%に上げる政策が必要だ」と、持論を説明。また、塩川先生が文部大臣だった昭和62年の教育費は予算の13.14%、それが現在は9%と低くなっていることを挙げ、国の予算は人材育成にもっと割くべきで、それによって科学技術が伸び、それが経済成長に繋がると、強調しました。

塾生からの「格差社会をなくすには具体的にどうすればいいですか」という質問には、「日本独特の直さなければならないところは、偏差値教育。官尊民卑からきていて、成績の優劣ではなく、人間本位で評価するシステムに直さなければならない」と塩川先生ならではの視点で答えました。


「塾のワンシーン」コーナー

「朝のラジオ体操」
塾の期間中、毎朝7時から研修所自慢の広い芝生でラジオ体操第一をするのが恒例です。
富士山に向かって体操をするという贅沢なひと時。昨夕、塾生たちが到着した時は曇っていた富士山が、この朝は頂上まで姿を現し、一行を出迎えました。多少眠そうなみんなでしたが、スケールの大きな姿を目の前に、「すごい。きれい」の歓声が上がりました。
清々しい空気の中でのラジオ体操は身体を目覚めさせ、一日の始まりに相応しい行事と言えます。

「突然の大雷鳴の連発、そして停電」
午後5時ごろ、突然「ドカーン」と大きな音。何事かと思っていたら、雨が降り出しました。音は段々多くなり、「ピカーッ」という稲妻も。夕食時になると、雨足も強くなり、稲妻も夕空を縦に大きく切り裂きます。当番の塾運営委員の女性の先生が「バックミュージックです」と、解説をしたのには塾生から爆笑が起きました。
夕食が終わった直後、突然研修所全体が真っ暗に。停電です。近くに落雷したとのこと。7時からの講話の授業はどうなるのか。暗い廊下やロビーで皆、不安そうな表情でした。幸い20分後に復旧、30分遅れで講話が始まりホッと一安心。ライブ放映も無事に発信できました。
その後、晴れたようで、富士山の尾根には夜の登山者の姿を映す光の筋が現れました。

(事務局・伊奈恵子)