「The pleasure of challenging the impossible 出来ないことに挑戦する楽しみ」天野 浩 名古屋大学 教授

3時限目は、高輝度青色LEDの開発に大きな貢献をされた天野浩先生の講義です。
「日本の経済は現在伸び悩んでいる。このまま下がり続けるか、日本独自の道を見つけるかというのが皆さんの世代に課せられた課題です。」という呼びかけで、講義を始められました。

「周りの人や時代の流れに逆らって、自分のやりたいことを追求することが今の時代に求められている」と先生は言います。それがまだ大変だった時代に、先生の恩師である故・赤﨑勇先生がいかにして研究を続けたのかが、最初のトピックです。

赤﨑先生のLED研究の原動力となったのは、オリジナリティへのこだわり。
赤崎先生は、アメリカの企業に特許料を支払わなければならなかった状況に反発し、自分たちの手で青色LEDを開発することを目指されました。その情熱は、プロジェクトが打ち切られても、企業から名古屋大学に移って研究を続けたほどだったといいます。

一方、中学・高校では勉強に熱中できなかったという天野先生は、大学の工学部に入学してから学ぶことが好きになったとのこと。ここで赤﨑先生の「窒化ガリウムを用いた青色LED」に出会い、これだ!と感じて卒業研究のテーマに選びます。当時はこの研究の難しさについては全く知らず、純粋に平面型ディスプレイを作りたいとの思いで楽しく実験を続けられたそうです。

その後、博士後期課程への進学を決断しますが、その3年間はストレスの連続だったと先生は話されます。うまくいきそうにない実験に対して周りからの圧力を感じ、辛抱強く続けることの大変さを実感されたそう。このときに先生が見つけた指針が、”自ら掴んだ信念に従え!”というもの。「年寄りの言うことは聞いちゃいけません。これだ!と思う道が見つかるまでやらないのも勇気」と、塾生たちにアドバイス。ところが信念に従った結果、博士号取得の要件を満たせず、先生は大学院を退学になってしまいます。「そんなに実験が好きなら」と赤﨑先生が助手として採用してくださったことで、以降も研究を続けることができ、世界で初めてpn接合青色LEDの実現を成功しました。

最後には、天野先生がノーベル賞の受賞に気づかなかったというエピソードのご紹介がありました。「心当たりのないお祝いメールがたくさん来て、でもなにがおめでとうなのか書いていないんですよ。ああ、これがスパムメールってやつかと思って。」などと話され、塾生たちの笑いを誘いました。

“刷り込み、無意識の思い込みが発展を阻害する。効率化、画一化、前例の踏襲がそれらを増長するから気を付けて。そして、必要な努力は惜しんではいけない”というのが、天野先生から塾生たちへのメッセージ。「皆さん一人一人が大切な未来の宝です。たくさん経験して、自分の進路を見つけてください。」と話され、講義を締めくくられました。

(15期生 日吉雪乃)

講義動画


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